アメリカに初めて「ゴッホの絵画」を輸入した男...2500点の名画を集めた大富豪バーンズの知られざる「爆買い人生」
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ミレーなどの画家が、最大限の情緒を持って描くフランスの農民。バルビゾン派の画家が描く、パリ近郊の森の美しい夜明け。ジャンジャック・エンネルの絵筆によって命を吹き込まれた、男の心を見透かすような視線を送る赤毛の女。
製薬業で財を成したアルバート・バーンズは、フィラデルフィアの高級住宅街に立つ大邸宅で、味気ない大きな壁をなにかで埋めたいと考えた。そして金ぴか時代の大富豪の誰もが所有していたような美術品を買い求めた。
だが、やがて、画商たちに、ろくでもない作品を売り付けられていたことに気が付いた。
「(画商たちは)金持ちをカモにしているだけだ」と、バーンズの高校時代の同級生であるウィリアム・グラッケンズは言う。画家のグラッケンズは、そうした事情をよく知る立場にあった。
バーンズとはフィラデルフィアの名門セントラル高校で一緒に野球をした仲だが、卒業から20年たった今はアメリカの前衛芸術運動のリーダーとなり、ニューヨークにおけるアッシュカン派の成立にも大きな役割を果たした。
アッシュカン派は、当時のコレクターや画商が好むこぎれいな作風や主題ではなく、雑多で質素な都会の日常を描くリアリズムを特徴としていた。
リーダーであるロバート・ヘンライの言葉を借りれば、彼らが重視したのは、アートのためのアートではなく、「生活のためのアート」だ。そこに詩的なきらめきが入る余地はなかった。