「伝統を汚す」「北九州の恥」と批判されたド派手着物でNYに進出 貸衣装店主・池田雅の信念は「お客様の要望は必ず叶える」
ド派手衣装の原点になった2人の新成人
「幼い頃から花嫁さんの要望を聞いてきたので、『お客様の要望は叶えるもの』っていうのが体に刷り込まれちゃってるんですよ」
細かな要望にも対応してくれるうえに、顧客との直契約だから値段も割安。小さな店はすぐに繁盛し始め、手狭になった八幡の店から現在のみやび本店、小倉に移転した。
このまま北九州市内で客足を伸ばし、ブライダル事業を軸として、順調に経営を進める予定だった2002年。池田さんの運命は思いもよらぬ方向に流されていく。
池田さんが「金さん」「銀さん」と呼ぶ、2人の男性の登場だ。
男性なら、3カ月前くらいに羽織と袴を選ぶのが一般的だが、2人がみやび本店を訪れたのは成人式まで1年というタイミングだった。背が高く体の大きい金さん。細くてひょろりとした銀さん。「怖そう」というのが第一印象だった。
店内にある男性用の羽織袴を見せると、もどかしそうに地団駄を踏んだ。
「全部違います! 金と銀しかないっちゃ! 全身金と全身銀の袴で、成人式に出るのが俺らの夢なんです!」
これには度肝を抜かれた。男性用の羽織袴は黒、グレー、白などの地味な色が中心で、金や銀の羽織袴など聞いたこともない。もちろん店内にあるはずもない。しかし、幼い時から刷り込まれてきた言葉が頭に浮かんだ。
『お客様の要望は、叶えるもの』
衣装がないなら、作ればいい
着物問屋の取引先は10件ほどある。問い合わせれば対応してくれるところがあるかもしれない。
「取りあえず、一度探してみるね、って言ってしまったんです。それで、貸衣装代はいくらだって聞かれたから、通常タイプの羽織袴だと3万9800円ぐらいかなって」
金さん、銀さんが帰った後、池田さんは電話をかけた。
「うちにはないね」
「今まで一度も取り扱ったことないよ」
「黄色とグレーならあるんだけどねえ......」
10戦10敗。どこに聞いても取り扱いがないと言われてしまった。二人には正直に伝えるしかないと思ったが、店に再びやってきた金さん、銀さんを前に、どうしても言えなかった。彼らの手には、それぞれ1万円札が握られていた。
「俺ら、成人式のお金は親やなくて、自分で働いてちゃんと払いたいんよ。少ないけど、これから毎月、支払える分だけ持ってくるけ!」
金さんは建築関係の仕事、銀さんは酒屋のアルバイト。月末になると決まって1万円札や千円札を握りしめてみやびを訪れるようになった。話をすると謙虚で人懐っこい笑顔を見せる2人。「これ、今月分です!」と目を輝かせながらお金を持ってくる彼らを見て、池田さんは腹を括った。
「ないなら、作るしかないって。それに、私が作るのだから、絶対に安っぽいものにはしたくない」
ブライダル中心の衣裳店だったみやび。成人式用も貸し出していたが、扱う品はどれも既製品だった。しかし、着物のプロとして、絶対にただ派手なだけのチープな着物にはしたくない。そこから前代未聞の金一色、銀一色の羽織袴作りが始まった。
ゼロからの着物づくり
着物問屋に問い合わせようやく金襴と銀襴(金と銀の生地)が見つかった。知り合いの縫製工場に頼み、その生地で羽織・袴を織ってもらうことにした。
「いくらなんでも1着ずつ織ってもらうわけにはいきません。正確な枚数は忘れてしまったけれど、金と銀、数枚ずつ織ってもらいました」
完成した頃には季節は秋を迎えようとしていた。