「犯罪ノンフィクション」の醜悪な世界──思い込みが自らに返ってくる恐ろしすぎる映画
The Dangerous True-Crime Brain
前作のプレミア上映から5年の間に多くの変化が起きた。デバイスの画面上だけで物語が展開する手法に斬新さはないが、社会の変化を受けて、本作の犯罪ノンフィクションカルチャーへの批判は鋭さを増し、熱中がもたらす危険や醜い現実を描き出している。
当局の対応に不満を募らすジューンは、ケビンのフェイスブックで情報を集め、彼の電子メールアカウントにログインする。やがて有望な手掛かりが浮上し、ケビンに犯罪歴があることも分かる。
ジューンのオンライン捜査には二重の効果がある。新たな手掛かりが見つかるたび、緊迫度が高まる設定は見事だ。一方、その素人探偵ぶりは、関係者の私生活をつつき回し、誰でも彼でも容疑者に仕立ててしまう現実世界のありさまを突き付ける。
事件が注目を浴びるなか、ジューンは母親が容疑者にされていく事態を恐怖に満ちた思いで見つめる。グレースに親しい友人や家族がいないことが怪しまれ、彼女が改名していたことが判明し、ニュース番組やオンラインで自作自演説が広まっていく。
これこそが、もう1つの側面だ。母親の行方を追う過程で、ジューンはケビンの真実を暴くことに成功する。だが同時に、自分の母親に向けられているのと同じ視野の狭いレンズ、ゆがんでいるかもしれないレンズを通して他者を見ることになってしまう。
悲劇を娯楽に変える罪
犯罪被害者や犯人と目される人はドラマの登場人物さながら、ソーシャルメディアで人生をさらされ、つつき回される。犯罪ノンフィクションにのめり込む人々はデジタル世界に散らばる遺物を解読し、知りもしない相手の人物像を再構築しようとする。
この問題は本作の終盤でさらに複雑になる(この先、ネタバレ注意)。