「何を見せたいか」を心得るスピルバーグによる自伝的映画は、やはり「してやったり」な出来ばえ
Spielberg’s Coming of Age
後半で一家はカリフォルニアに引っ越し、サミーは高校でいじめに遭う。ユダヤ人をさげすむ体育会系の少年に暴力を振るわれ、別の少年とは心理戦を繰り広げる。
いじめのエピソードは家族のドラマよりも平凡に感じられるが、最後にはびっくりするようなオチが待っている。
アンチ派はまさにこの点を突きスピルバーグを批判してきた。いわく、観客の喜怒哀楽を操るのがあまりに巧みで、語り手として信用ならない。スピルバーグの映画はきれいすぎて真実味に欠ける......。
クシュナーの脚本は、映画製作の核にあるこうしたモラルの葛藤を見事に捉えた。『フェイブルマンズ』はジョーダン・ピール監督の『NOPE/ノープ』と同じく、ハリウッドへの批判を内包したハリウッド大作なのだ。
ラストのいたずらに注目
矛盾の塊のようなミッツィを演じ切ったウィリアムズは素晴らしい。ミッツィは精神的に危うく、衝動的で(子供たちを車に乗せ、興味本位で竜巻を見に行ったりもする)、時に自分勝手。それでいてカリスマ的な魅力を発散し、子供たちに愛情を注ぎ、息子の夢を惜しみなく支える。
サミーが自分で撮ったホームムービーを、母のためだけに上映する場面は必見。観客はミッツィの顔に映る光の明滅という形で映画を見るのだが、演出もウィリアムズの演技も離れ業というほかない。
2017年のドキュメンタリー『スピルバーグ!』を見る限り、今回描かれた夫婦の破局はかなり事実に近いようだ。スピルバーグは両親が他界してようやく、壮絶な離婚劇に受けた痛手を追体験する用意ができたのだろう。
そう書くと感傷的なお涙ちょうだい映画のように思われるかもしれないが、『フェイブルマンズ』はコメディーだ。
ドライなユーモア精神を持つ祖母役のジーニー・バーリン、子供たちに怖い話を聞かせる元猛獣使いのおじに扮したジャド・ハーシュ、サミーにお祈りを強要する敬虔なキリスト教徒の恋人モニカを演じたクロエ・イーストら、脇の演技も光る。