「何を見せたいか」を心得るスピルバーグによる自伝的映画は、やはり「してやったり」な出来ばえ
Spielberg’s Coming of Age

サミー(中央)は両親に連れていってもらった劇場で映画に夢中になる。母ミッツィ(右)を演じたウィリアムズはアカデミー賞主演女優賞の候補 UNIVERSAL PICTURESーSLATE
<名監督が子供時代を振り返った『フェイブルマンズ』は、いじめや両親の不仲を乗り越えたスピルバーグの成長譚。ある「伝説的映画監督」との出会いが気になる...>
スティーブン・スピルバーグ監督の新作映画『フェイブルマンズ』(日本公開は3月3日)は自伝的な物語だ。1950年代、愛はあるが壊れかけた家庭に育った少年が、映画監督への道を歩み出す。
アカデミー賞で作品賞など7部門にノミネートされたこの映画には、映画ファンの郷愁を誘う要素がそろっている。
撮影監督ヤヌス・カミンスキーによる温かみのある映像の中で、スピルバーグの分身であるサミー少年は映画館に足しげく通う。8ミリカメラで西部劇や戦争映画を撮り、家族やボーイスカウト仲間をあっと言わせる場面もある。
だが映画へのラブレターと見えて、この作品にはトゲがある。これは人心掌握にたけた若き芸術家の肖像。スピルバーグは数十年来、観客を魅了しその感情をもてあそんでいるとの批判を浴びてきた。
トニー・クシュナー(『ミュンヘン』)の脚本は、幼いサミー・フェイブルマン(マテオ・ゾリオン・フランシスデフォード)が映画の力を使って根源的な恐怖と欲望をコントロールする様子をストレートに描き出す。
サミーと母との関係も浮かび上がる。ピアニストになる夢を諦めて家庭に入った母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)は、夢を追う息子を全力で応援する。
生まれて初めて劇場で映画──1952年の『地上最大のショウ』──を見たサミーは列車の脱線シーンに怯え、黙り込む。
ミッツィは息子がおもちゃの汽車で事故を再現しても、それを止めるどころか父親のカメラで撮影してはどうかと勧める。こうしてサミーは恐怖を克服し、一生ものの情熱と出会う。
やがて一家は技師の父バート(ポール・ダノ)の仕事の都合で、オハイオ州からアリゾナ州フェニックスに越す。砂漠の町でミッツィは孤独を深め、心を病む。
一方、10代のサミー(青年期を演じるのはガブリエル・ラベル)は映画作りの才能を開花させる。映画館でハリウッド大作を貪るように見ては、自分流にリメーク。キャストは友人や3人の妹たちだ。
カメラはサミーの意識にそのままつながっている。家族を映像に記録するという行為は両親の不仲がもたらす痛みから自分を守る壁であり、同時に両親の関係を明確に見せてくれるルーペでもある。