「おたく」と呼ばないで──マーチングバンド部という「スポーツ」とアメリカ社会
Marching Bands Are Cool
いまひとつイケてないイメージに筆者は抗議 JOSEPH BUTZ
<ばかにされることもあるが人々に愛されているし、何より芸術とスポーツの見事な融合。誰が何と言おうとマーチングバンドは最高にかっこいい!>
アメリカンフットボールのシーズンにスタジアムで欠かせない存在、それが私たちマーチングバンドだ。
試合のハーフタイムに演奏し、観客におやつを食べる機会を与える。学校のホームカミングデーや、ニューヨークの百貨店メーシーズの感謝祭パレードでもおなじみだ。
私のように高校のマーチングバンドにいると、全米の学校とコンクールで競う機会もある。そして選ばれし22団体は、大学フットボールの王座決定戦「ローズボウル」のパレードで演奏の機会を与えられるのだ。
私は小学4年生の時から野球漬けの生活を送ってきた。最強でもなければ最も才能に恵まれた選手でもなかったけれど、常に一軍にいて、勝利にも大いに貢献してきた。
高校でも野球部に入ったが、プレーをする楽しさをストレスが上回り始めていることに気が付いた。だから私はグローブとバットを置き、マーチングバンドでバスドラムをたたくことにした。
マーチングバンドには補欠の選手もいなければ、出場チャンスを待ちわびている人もいない。誰でも参加できて、楽器の弾き方を知らなくても大丈夫だ。私自身はドラム経験があったけれど。
当初は野球からの転向を後悔したこともある。でもすぐに、スポーツ選手として体をつくってきたことはマーチングバンドでも無駄にはならないと気が付いた。
ドラムの重さは5~20キロくらいあり、これを抱えながら仲間たちと隊列を組んで行進しなければならないのだから。
マーチングバンドはどう考えてもスポーツだ。ジョージア州学校協会ははっきりとそう定義している。インディアナ大学のバスケットボール部の監督だったロバート・ナイトは、練習の厳しさはバスケよりマーチングバンドのほうが上だと語っていた。
「おたく」と呼ばないで
マーチングバンドはアメリカ文化には欠かせない要素だし、必要とされていると私は思う。ソーシャルディスタンスの名の下に演奏の機会がなくなったときも、人々はマーチングバンドの火を絶やすまいと戦った。