イチローの英語が流暢なら、あの感動的なスピーチは生まれなかったかもしれない
マリナーズ球団殿堂入り式典でスピーチするイチロー(2022年8月) Steven Bisig-USA TODAY Sports-Reuters
<聞く人の心を揺さぶる名スピーチは、必ずしもよどみなく流暢に語られたものではない。それは、日本人が英語を話す際の心構えとしても知っておきたいことだ>
「あなた」──。安倍晋三元首相の大きな遺影を見上げ、声を震わせながら恋人のように語りかける。自らも「総理」だったのに、「総理」と震える声で呼びかけ、慕い敬い続けた人へ最期の別れを告げる。安倍元首相の国葬儀で友人代表として読んだ菅義偉前首相の弔辞が、多くの国民の心を揺さぶった。菅氏の沸き出る思いに満ちた、朴訥で口下手な菅氏らしい、“菅氏だけ” の弔辞だったからだ。
歴史に残る名演説・名スピーチは、必ずしもよどみなく流ちょうに語られたものではない。これは英語でのスピーチでも、同じだ。その例として、日本だけでなく米大リーグでも輝かしい実績を残したイチロー氏が、今年8月に行ったスピーチを紹介したい。
※以下は筆者が「東京書籍」のWEBサイトNEW HORIZON「英語の広場」で連載している『英語って、生きている!』(岡田光世)の第4回「イチローの英語は、イチローにしか話せない」(2022年9月)からの転載です。
“What's up, Seattle!?”
(シアトルのみんな、元気か!?)
こう絶叫して始まったスピーチ。イチロー氏はこのひと言で、会場の4万5千人を超える観衆を大歓声で沸かせると、笑いと涙の具体的なエピソードを織り交ぜ、最後の最後まで心をつかんで離さなかった。
8月27日(現地時間)、イチロー氏は米大リーグ、シアトル・マリナーズ球団殿堂入り式典で、16分間のスピーチをすべて英語で堂々と行った。
彼の言葉はプロのスポーツ選手としての情熱と哲学に満ち、チームの仲間や関係者、通訳とその家族、ファン、妻など、自分を支えてくれた人たちへの感謝の思い、彼のあとに続く若手選手への鼓舞と激励、シアトルへの愛にあふれていた。
イチロー氏はマリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターとして、今もユニホームを着て、選手の練習に立ち合っている。
イチロー氏のスピーチを聴きながら、思った。新刊『ニューヨークが教えてくれた “私だけ” の英語 “あなたの英語” だから、価値がある』のタイトルに私が込めた思いは、まさにこれだ、と。
イチロー氏の英語は、彼にしか話せない、“彼だけ” の英語。“イチロー氏の英語” だから、価値がある。
あのスピーチは、イチロー氏そのものだった。スピーチライターがいたとは思うが、彼自身の具体的なエピソードを笑いとともに織り交ぜ、練りに練った内容だった。彼らしく「完璧」を目指してストイックに、発音から話し方、間の取り方まで、徹底的に練習したはずだ。