「普通の父親」になれなかった僕が、妻と娘と生きていくために受け入れた役回り
娘は絶望した著者を幾度となく人生に引き留めた(写真はイメージです) Hakase_-iStock
<「家族を守る」ことはできなかったけれど、妻と娘との「具体的な関係を守る」ことならできるかもしれない。ADHD・ASD当事者の育児ドキュメンタリー『僕は死なない子育てをする 発達障害と家族の物語』より一部抜粋して紹介する>
「普通」であろうと無理を重ね、裏目に出る。外見からわからないだけに誤解されることも多い発達障害だが、その特性ゆえに多くの当事者が社会生活に難しさを抱えている。
7月に『僕は死なない子育てをする 発達障害と家族の物語』(創元社)を上梓したライターの遠藤光太氏は会社員時代、「自分が電話を受けなければ」とオフィスで緊張し、家庭では「強くあるべき」「稼ぎ頭であるべき」という父親像に縛られていたという。背伸びし続けた結果、20代で鬱病と休職を繰り返すことになった。
本書は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)とASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けた著者が特性の理解を通じてキャリアを再考し、家族と再出発するノンフィクションだ。
本記事は第9章「家族と発達障害」から2回に分けて抜粋する企画の後半。「家族を守る」父になれなかった著者が、障害を受容し、妻と娘と生きていくために受け入れた役割とは──。
※抜粋前半はこちら:発達障害の診断を受けた僕が、「わかってもらう」よりも大切にしたこと
見えてきたメカニズム
娘は二歳半になっていた。できる限りの愛情を注いでいたが、愛情だけで子育てはできない。子育てに取り組むには、僕にとって特性への理解が必要だった。
一例として、聴覚過敏の問題がある。聴覚過敏とは、周囲の音を過剰に拾ってしまい、聞きたい音とそうでない音にメリハリをつけづらい脳の特性だ。生まれたばかりの頃には、泣き止まない娘を抱っこしながら自分も泣いていた。娘が泣く声だけでなく、テレビやスマホから流れる音、掃除機などの生活音に、疲弊していたのだった。
特性を知ったあと、ノイズキャンセリングヘッドフォンを購入した。このヘッドフォンから流れる音楽で周囲の音をマスキングすることによって、対処することができた。
些細なことからひとつずつ紐解といていくと、家族に自分はいらないと思ってしまっていたことや、鬱で休職を繰り返していたこと、離婚や別居を考えるほど夫婦関係が悪化していたことに、隠れていた要因が見えてきた。
特性に凸凹があることに気づかず平らにしようとして、空ぶかししては鬱になり、また闇雲に進んでいく。そんなメカニズムがありありと見えてきたのだ。