「普通の父親」になれなかった僕が、妻と娘と生きていくために受け入れた役回り
この頃、僕は家事のミスが少なくなっていた。
ご飯を炊いておく。娘を保育園にお迎えに行く。買い物をする。おかずを作る。順番にひとつずつ考えていくと行動できた。ピーマンの肉詰めさえ作れなかった自分には、たったそれだけのことが嬉しかった。いままで、そんな簡単なことで苦しんでいた。
もちろん、片付けの苦手さや過集中したときに他のことができなくなるといった困りごとは残り続けている。しかし、ちょっとした工夫で対処できることとそうでないことを仕分けできるのは、生活を楽にしてくれた。
「普通」の子育て
発達の特性にはグラデーションがあり、白か黒かと区別することはできない。また、置かれた状況や環境、人間関係によって、特性の表れ方は大きく変わる。かつての僕はこれらのことをわかっていなかった。
診断前は、発達障害という言葉は知っていたが、浅い知識しかなかった。例えば、過去にメディアで見ていた発達障害の当事者には「天才」のイメージがあった。自分は「天才」ではなく、どこか「自分とは遠くにあるもの」と感じてしまっていたため、自分の発達障害に気づけなかった(いまこのように書籍などで発信するときには、自分が発達障害に気づけなかった体験から、できるだけ多様な当事者の姿を届けたい。本書も、「発達障害のある父親」の発信が少ないことを踏まえて、マイノリティの立場で発信したいという思いから出発した。)
もっと自分のことを理解できてから、子育てに入れれば良かったのだろう。その一方でモヤモヤするのは、現代の日本で〝普通に〞子育てをしていくのは難しいことである。つまり、社会人として一人前になり、結婚し、仕事をし続け、貯金を準備し、両家と良い関係を築き、そしてはじめて「子育て」をするというモデルは、いまや「普通」とは言いがたいのではないか、と──。
例えば、ひとり親でも安心して育てられる制度や同性カップルも望めば子どもを迎えて家族を作れる権利、性別にかかわらず安心して仕事を一度休める雰囲気、そして僕のように障害があっても周囲とかかわり合いながら子育てに取り組める土壌を、「いま」という時代が求めている。「普通」からはみ出してしまうのが多数派だとしたら、このねじれた時代に、子育てのあり方を見直す必要がある。そのなかのひとつのファクターに、僕たち「父親」がしなやかに子育てを担っていくことの重要性がある。