「中身は空っぽのアイドル」の呪縛から、ついに解放されたハリー・スタイルズ
Shrugging Off Rock Stardom
それが成功していることを雄弁に物語るのが、先行シングル「アズ・イット・ワズ」の大ヒットだろう。ロックの伝統も、トレンドも気にしなくていい。スタイルズ自身が持つ強烈な魅力が、独自の軌道を生み出すのだ。
特にアルバムの後半がいい。例えば「キープ・ドライビング」では、「ワイングラス/パフ・パス/ライオット・アメリカ/科学と食料品/バスルームのライフハック」といったランダムな言葉が、シンセサイザーの軽いざわめきのようなサウンドに弾むように重なる。
このアルバムには、遠距離恋愛の不安定な関係をテーマにしたと思われる曲が多く含まれるが、これもその1つだ。親密な関係を期待しているけれど、確信を持てない心情がうまく表現されている。
「サテライト」も、世界のどこかで離れ離れになっている恋人たちを歌う。最初は甘いポップロック調だが、最後の1分は衛星の軌道が大きく乱れるように、楽観的な展望を打ち砕く激しいサウンドになだれ込んでいく。
だが、『ハリーズ・ハウス』は不安に満ちた曲ばかりではない。1曲目の「ミュージック・フォー・スシ・レストラン」は、おどけたメタファーとプリンス風のファンキーなサウンドが楽しい曲だ。「アズ・イット・ワズ」は80年代ポップスの王道的な曲調だし、次の「デイライト」はネオ・ソウル調の心地よい曲だ。
7曲目の「マチルダ」は、ギターとピアノが中心のバラード。だがテーマは恋愛ではなく、冷酷な家族に苦しむ友達に、「僕が口を挟むことではないけど/ちょっと思ったから言うよ」と助言する曲だ。
「(家族の元を)離れても、申し訳ないと思わなくてもいいんだ」と、スタイルズは歌う。具体的な家族問題が何かは語られないが、これだけでも性的少数者のファンの心には強く響くに違いない。
次の「シネマ」は、そのタイトルから、スタイルズが交際を噂される女優・映画監督のオリビア・ワイルドとの関係を示唆しているのではないかと、ファンとタブロイド紙は歌詞の分析に血眼になるかもしれないが、あまり発見はなさそうだ。
細野晴臣のアルバムに影響を受けた
『ハリーズ・ハウス』というタイトルは、日本のサイケデリックフォークと「シティ・ポップ」のパイオニアである細野晴臣の73年のアルバム『HOSONO HOUSE』に着想を得たと、スタイルズは語っている。
『HOSONO』は、ホームレコーディングの草分け的なアルバム。スタイルズもコロナ禍のさなか、自宅でのアルバム制作を考えたという。結局そうはならなかったのだが、ずっと世界を飛び回ってきた彼が、スタジオに腰を落ち着けてアルバム制作に集中したこと、そしてほとんどの曲がスタイルズとキッド・ハープーン、タイラー・ジョンソンの3人で作られたことが、手作り感のあふれる仕上がりにつながったようだ。
『ハリーズ・ハウス』は、10年後も聴き直したいと思える名盤とは言い難いが、大いに楽しめることは間違いない。スタイルズの次なる飛躍の重要な土台になることだろう。
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