在日コリアンの苦難を描く『パチンコ』を、「反日ドラマ」と切り捨てていいのか
The People Endured
ドラマで際立つのは反骨精神
もっとも『パチンコ』は、単に植民地時代の苦難を描いて同情を求めるだけのドラマではない。
同情を求めるどころか、むしろ際立つのは反骨精神だ。登場人物たちが80年代のパチンコ店で踊る姿と古い写真や映像が交互に映し出されるオープニングからして挑戦的で、逆境の中でアイデンティティーを主張する心意気を感じさせる。
エール大学在学中に在日の歴史を知り小説を着想したという原作者のリーはかつて、韓国・朝鮮人に向けられる反感は日本でもアメリカでも同じだと語った。登場人物はどこかにもっと住みやすい場所があるはずだと夢見るのではなく、在日という特異なアイデンティティーを堅持する。
ソロモンはアメリカでの生活に区切りをつけて日本に帰る。老いて孤独なソンジャはグムジャとの交流に触発されて祖国の土を踏んだ後、日本にとどまることを選ぶ。
前述のニューズウィーク日本版の渡辺のコラムに、リーは次の言葉を寄せた。「現代の日本人に、日本の過去についての責任はない。私たちにできるのは過去を知り、現在を誠実に生きることだけだ」
結局のところ、差別の連鎖を断ち切るために私たちにできるのは、耳を傾け過去を知ることだけ。その長い旅路において、過去を知ることは欠かせない一歩だ。
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