スタイル抜群のあの女がこの家を乗っ取ろうとしている──認知症当事者の思い
■デイサービスの職員との攻防
月曜日と木曜日。若い男性職員さんが素敵です。孫ぐらいの年齢かしら、びっくりするほど大柄の人。それで思わず、「あなた、体が大きいですねえ」と聞いてしまったことがある。そしたら彼が、「ええ、僕、体育大学を卒業しています」なんて笑いながら言う。とても優しい人で、本物の孫みたい。
デイの終わりに私を大きな車で家まで送り届けてくれたけれど、なぜ私の家を知っていたのだろう。住所を知られているのだろうか。まさかとは思うけれど、気をつけなくちゃならない。こんなばあさん、誰も気に留めないことはわかっているけれど、怖い世の中ですから、用心するに越したことはない。
体育大学さんのことは好きだけれど、デイの職員には嫌いな人もいる。山中さんだ。この前、お父さんの背中にぴったりと手を添えて、仲睦まじく一緒に歩いていた。まるで私に見せびらかすように。お父さんとの仲を誇るように。
確かに若くて、きれいな人だ。デイの職員さんのなかではとびきりの美人だ。
なんて恥ずかしいことだろう。
いい年をして、うれしそうに微笑むお父さんを見るたびに、頭に血が上る。自分ではどうすることもできないほど腹が立つ。顔が真っ赤になってしまうほど恥ずかしい。情けない。緩みきったお父さんの顔を、思い切り叩いてやりたい。
悪いのはお父さんだけじゃない。山中さんだって、どうかしていると私は思う。男の体に気安く触れるなんて、破廉恥だ。よくできたものだと思う。大勢の人に見られているじゃないの。みんな、笑っていましたよ。あの爺さん、好き者だな、すけべじじいだって声が聞こえてきました。
だから私はもう、お父さんをデイに行かせることはないと思う。誰がなんと言おうとも、息子が、あなたが、デイにはちゃんと通わなくちゃだめですよと言おうとも、お父さんはデイには行かずに、ずっと家にいるべきだ。だって、あそこには悪い女がいるのだから。悪い女がこの家を、私たちが苦労して建てた家を、乗っ取ろうとしているのだから。それでもお父さんは、運動は大切だからデイは辞めないと言って譲らない。
■一家崩壊の危機
そう、あの人だ。
すべて長瀬さんが悪い。
長瀬さんさえ来なければ、彼女さえ黙っていてくれればそれでいい。だから彼女がインタフォンを押してきたら、思い切り嫌な声を出して応えている。家のなかに入ってきたら、普通に話すふりをして、心のなかで、あっかんべーと思っている。
私を老人だと思って馬鹿にしたらいけないですよ。私は頭が切れる、賢い女ですから。あなたとは経験が違います。まだまだ負けません。
初めて彼女をわが家に連れてきたのは、私の記憶が間違いでなければ、あなただった。あなたのことは、今までずっと信じていた。あの子だけは私を裏切らないと思っていた。なにせ、私が育てあげたのですもの。野良犬みたいな子を、まともな女性にしたのは、この私。
それでも、今までの経緯を冷静に考えてみれば、あなたもあちら側の人間なのは間違いない。息子がそんな怖ろしい人と結婚するとは夢にも思わなかったけれど、その事実は、彼にはまだ伝えていない。
あなたは長瀬さんと結託して、この家を乗っ取ろうとしている。
ねえあなた。すべてあなたの差し金でしょう? 誤魔化したって無駄ですよ。私にはすべてわかるのです。
『全員悪人』
村井理子 著
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