スタイル抜群のあの女がこの家を乗っ取ろうとしている──認知症当事者の思い
Kayoko Hayashi-iStock.
<認知症の当事者は、自らを介護する家族やケアマネージャーらをどう見ているのか。きれいごとでないその現実を、エッセイストの村井理子氏が「介護される側」の視点で描いた『全員悪人』を一部抜粋する(後編)>
家族の異変に気づいたのは3年ほど前のことだった、と語るのはエッセイストで翻訳家の村井理子氏だ。スーパーでの支払いをはじめ、出先で些細な問題を起こすことが増え、感情の起伏が激しくなった。
加齢による自然な現象と捉えられなくもなかった。しかし、認知症の兆候はこの頃から表れていたのかもしれない。
公的なサービス、医師、周りの人々の手を借りながら、認知症の家族を支援するようになって1年以上が経過した。
想像もしない事件が起こり、紆余曲折がある日々だが、患者当事者の気持ちを理解しようとしながら伴走を続けている。
そうした認知症患者と家族のドラマを「介護される側」の視点で書いたのが新刊『全員悪人』(CCCメディアハウス)である。その冒頭を抜粋紹介する全2回連載の2回目。
※抜粋第1回はこちら:知らない女が毎日家にやってくる──「介護される側」の視点で認知症を描いたら
■失礼なケアマネージャー
はじまりは、長瀬さんだった。笑顔がきれいな明るい人で、スタイルも抜群。五十代前半の、私よりは、ずっとずっと若い女性。
お父さんは、長瀬さんのことをとてもいい人だと言っていた。ベテランのケアマネさんだと教えてくれた。私が長瀬さんについて何か言うと、お世話になっているのだから、そんなふうに言うもんじゃないと私を叱る。
お父さんは馬鹿だから、すぐに騙される。特に美人だと、ころっと騙されて、さっさと家に入れてしまう。ケアだの、デイだの、ステイだの、英語を使って偉そうにしているけれど、長瀬さんのおかげでこっちは大迷惑だ。
初めて彼女が家にやってきた日のことは、今でもはっきりと覚えている。お父さんは、リハビリ入院を終えて、家に戻ってしばらく経っていた。私がこの日を記憶している理由は、私に対して、彼女がとても失礼なことを言ったからだ。
「そろそろゆっくり暮らされてはいかがでしょう。私たちにお手伝いさせてください。私たちに、なんでも話してください」と長瀬さんは言って、一緒に来ていたデイの責任者という人と、ちらっと視線を交わした。その瞬間、この二人は何か企んでいると、ぴんときたのだ。
「それからね、お母さん。とても大事なことをこれから言います。車の運転は、もうやめたほうがいいと思うんです。お父さんからも、車の運転をやめるよう説得しているけれど、聞き入れてもらえないというお話を伺っています。お家の敷地内で車をぶつけてしまわれたということも聞きました。ご家族のみなさんがとても心配しておられます。これからは、息子さん夫婦にお父さんの通院の送り迎えはお任せしたらいかがでしょう。あるいは、タクシーだっていいじゃないですか。買い物はヘルパーさんにお願いすることだってできるんですよ」