ドリブルデザイナーになり、全てを手に入れた岡部将和は「夢ノート」を書いていた
「人生を長く生きている人は全員が指導者」
──『自分の武器の見つけ方』の中で、人生の夢を実現するために「夢ノート」を作ろうと呼びかけられていますね。岡部さん自身も作られているんですか?
ちゃんと形にしたのは、サッカー選手を引退してからですが、それからは書いた分だけ、夢が叶っていますよ。
──そうやって夢を言語化することって大事なんですね。
自分の中でゴールまでの筋道を整理し、想像することができれば、夢は叶いやすくなりますからね。
──今の子供たちは、言語化することが上手なんですか?
うまくいっている子ほど、言語化が苦手かもしれません。才能だけで結果が出ていると、自分と向き合う必要がなくなってしまいますから。
──できるだけ早いうちに、目標を定めるべきだと?
僕はそう思います。ただそれには、親御さんが背中で導いてあげることが大切なんです。お父さん、お母さんが楽しんでいる姿、挑戦している姿が、子供の挑戦を駆り立てるきっかけになる。
──『自分の武器の見つけ方』というタイトルに込めた想いは?
自分らしくあることが、すなわち特別な武器になる。誰かのまねをして生きるのは、それがどんなにうまくいっても幸せじゃない。タイトルに込めたかったのは、「自分らしく楽しめる形を見つけよう」というメッセージですね。
──自分らしくチャレンジして失敗した子には、どんな風に指導しますか?
親御さんも含めて、人生を長く生きている人は全員が指導者だと僕は思っていて、そうやってつまずいた子に、「失敗だなんて思わないで!」「僕を見ろ」「私を見ろ」と言える人が世の中にあふれたら、すごくいいなと。
勇気を出して挑戦した先に失敗はないよ、失敗は成功のかけらで、それを集めたもん勝ちだよって、さっきも言いましたけど、自分の背中で伝えられるようになれたらいいですね。
──岡部さん自身の一番の挫折は? プロになれなかったことですか?
それはまったく挫折と思っていなくて。後悔があるとすれば、挑戦しなかったことになるんですが、今のところないんですよ。常に挑戦し続けてきましたから。
──岡部さんはジュニアユースの頃までパサータイプ(パスを出す選手)で、最初はドリブルが武器ではなかったんですよね? ドリブラーに変わるきっかけがあったんですか?
高校生の時に、当時神奈川県で一番強いと言われていた桐蔭学園と対戦して、0-5か0-6で大敗したんです。その時、「なんであんなにいいパスを出してるのに決めてくれないんだよ」って仲間を責めている自分がいて。でもそこで周りを見ると、みんなが『お前もだけどな』って顔をしていた。
自分もできていないのに、チームメイトのせいにして逃げようとしていることが恥ずかしくなった。だったら、「僕がドリブルで4、5人抜ける選手になろう」って決めたんです。あそこで気付けたのは、本当に幸運でした。
──目標を掲げること以前に、そういった気付きが大切なんですね。
そうですね。それは周りへの感謝の気持ちから来るものだと思うんです。自分はチームに生かされて活躍できているとか、お父さん、お母さんのお陰でサッカーができてるとか、そんな風に思えていたら、きっと僕のようにはならない(笑)。