1980年12月8日、ジョン・レノンが「神」になった日【没後40周年特集より】
深夜、ヨーコは知人に付き添われて帰宅し、世界中で3人だけに電話を入れた。ジョンの長男ジュリアン、育ての親であるミミ・スミス、そしてポール・マッカートニーだ。「ジョン・レノン死す」のニュースが街中に広まると、誰が言い出したわけでもないのに、ダコタハウスの前には祈りをささげる人々が集まり始めた。ジョンの歌を歌い、ろうそくをともし、門に花束やジョンとヨーコの写真を飾り、急ごしらえの祭壇を作った。
元ビートルズの仲間のうち、あえてニューヨークまでやって来たのはリンゴ・スターだけだった。ジョージ・ハリスンはレコーディングの予定をキャンセルして家に引きこもった。マッカートニーは「独りでジョンの死を悼みたい」と言った。
ヨーコも人前には出なかった。事件から2日後、彼女は息子のショーンに父の死をどう伝えたかを文章で発表した。そこには「パパは神様の一部になったんだ。人は死ぬと、すごく大きくなるんじゃないかな。だって全ての一部になるんだから」という、ショーンの言葉も紹介された。
そしてジョンの葬儀は行わないとして、彼の死を悼みたい人は日曜日の午後、彼の遺体が火葬された後に、「その時間、どこにいようが」10分間の黙祷をささげて彼を送ってほしい。そういう内容だった。
ジョンは年齢、人種、階級を問わず広く支持されていたが、この事件で最高にショックを受けたのは、20代後半から30代のベビーブーム世代だろう。サンフランシスコの27歳は「私たちは彼と一緒に育ってきたの」と言い、ダラスの32歳は「これで60年代を葬り去る棺桶に最後のくぎが打ち込まれた」と嘆いた。
喪失感は大きい。しかし、これで1つの時代が終わったと考えるのは間違いだろう。ヨーコは彼を送った翌日に語っている。「私たちには、一緒にやりたいことがいっぱいあった。80歳まで生きようって話していた。もう、それはかなわないことになってしまった。でも、私たちの伝えたいことが終わったわけじゃない。音楽は生き続けるから」
その音楽がある限り、ジョン・レノンも生き続ける。
【本誌米国版1980年12月22日号掲載記事を再録】
<2020年12月15日号「ジョンのレガシー」特集より>
2024年11月26日号(11月19日発売)は「超解説 トランプ2.0」特集。電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること。[PLUS]驚きの閣僚リスト/分野別米投資ガイド
※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら