「悲しいとかないの?たった一人のお兄さんやろ?」──不仲だった兄を亡くした
兄が住んでいたアパートはどうなっているのだろう。塩釜署の山下さんによれば、部屋には警察がすでに立ち入り、大家さんも、不動産管理会社の担当者も駆けつけたという。児童相談所も、学校の先生も、甥の良一君に付き添い、当面の荷物を運び出すためにアパートまで来てくれたそうだ。
兄の最期の様子がどうだったのか、部屋はどうなっているのかなど、状況の詳細はほとんどわからなかった。唯一わかっていたのは、「汚れている」ということだった。山下さんの口調から、それ以上詳しいことは電話では言えないという雰囲気を察知していた。
とにかく、計画はこうだ。
遺体を引き取ったら、塩釜署から斎場に直行し、火葬する。一刻も早く、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう。それから兄の住んでいたアパートを、どうにかして引き払う。これは業者さんに頼んで一気にやってもらう。
塩釜署の山下さんが教えてくれた葬儀社名を書いたメモを見ながら、混乱した頭のなかを整理していった。とにかく火葬までは急がなければならない。その先は後から考えればいい。徐々に肝が据わってきた。
いったい何が起きたのかと説明を待つ夫に、「兄ちゃんが死んだってさ」と言うと、さすがに驚いた様子だった。夫と兄は一歳しか年が離れていないのだ。
息子たちは、えっと驚いて、あのおじさんが? と困惑していた。
「いつかこんな日が来るとは思ってたけど、予想よりずいぶん早かったよね」と冷静に言う私に驚いた次男は、目を丸くしながら、「悲しいとかないの? たった一人のお兄さんやろ?」と言った。
私はその問いに答えることができなかった。
■元妻・加奈子ちゃん
翌日、塩釜署の山下さんに教えてもらった葬儀社に朝いちばんで連絡をした。
電話に出た女性に、兄の遺体が塩釜署にあるので火葬をしたいと説明すると、すぐに担当の男性と代わってくれた。男性は確かに慣れた様子だった。
「死体検案書のほうは、どちらの先生が担当されたかご存じですか?」
「高橋医院だと聞いています」
「高橋先生ですね! よかったぁ、いい先生なんですよ〜。それではこちらで検案書は頂いておきますので、そのまま塩釜署にお越しください。すべてご準備させて頂きます。どうぞお気をつけて」
五日正午、塩釜署前での待ち合わせがあっさり決まった。
次に私が連絡を取ったのは、兄の元妻で、兄を発見した甥の良一君の母である加奈子ちゃんだった。私が彼女に最後に会ったのは五年前で、私の母の葬儀のときだった。