暴力団取材の第一人者、ABBAで涙腺崩壊──「ピアノでこの曲を弾きたい」
LeMusique-iStock.
<『サカナとヤクザ』の校了が迫るなか、事実確認のため軽トラで北海道へ。テントで就寝中、北海道胆振東部地震が発生した――。そこから鈴木智彦氏が一本の映画に出合い、ピアノを習い始める決意をするまで(後編)>
昨年のベストセラー『サカナとヤクザ』(小学館)、そして『ヤクザと原発』(文春文庫)『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)などの硬派なルポで知られる、暴力団取材の第一人者でありノンフィクション作家の鈴木智彦氏は52歳になってからピアノを習い始めた。きっかけは一本の映画だった。
熱に憑かれたようにピアノ教室の戸を叩き、ついには発表会でABBAのヒット曲『ダンシング・クイーン』を演奏するまでの1年と少しの記録を新刊『ヤクザときどきピアノ』(CCCメディアハウス)に書いた。
今もピアノを続けている鈴木氏は言う。「遅く始めたからといって、俺たちは、なにも失っちゃいない。まだなにもしてねぇのに、へこむことないじゃん。はやいよ・笑」
2回に分けて、その冒頭を抜粋し掲載する連載の後編。
※前編:『サカナとヤクザ』のライター、ピアノ教室に通う──楽譜も読めない52歳の挑戦(まえがき抜粋)より続く。
Prélude シネマでABBAが流れたら――ライターズ・ハイの涙
■『サカナとヤクザ』の締め切りで
遅筆である。
というより、ノンフィクションを飯の種にしていれば取材に時間がかかる。ネットで検索できる情報は金にならない。図書館に出向いたところで参考資料はほとんどない。にもかかわらず、毎年、コンスタントに本を書けるのは面妖である。短時間の取材でまとめた企画本はそれなりにしかならない。発酵の時間を省いて美味いパンは焼けない。
壮大なブーメランで自爆したいのではなかった。指摘したいのはライターが(いや俺が)、自分の本を面白く、価値ある作品にすることしか考えていないという事実である......といえばたいそう立派に聞こえるが、何事にも限度があり、インプットを続ける書き手も困りものだ。費やす時間は多いほどいいが、情報のコレクターではないのだから、アウトプットしなければならない。発売が遅れるほど取材費がかさみ、売り上げで回収できるか危うくなる。収支がマイナスになった時点で商業作家として破綻する。
だが、いったん作品を世に出せばすべての評価は自分に返ってくる。時間が、費用が、編集が、出版社が......一切の言い訳は通用しない。だからなかなか取材にピリオドを打つ勇気を持てない。
このとき締め切りを抜けたばかりの『サカナとヤクザ』の取材はずるずると五年間続いていた。取材費だけでもウン百万円は突っ込んでいた。にもかかわらず取材途中だった。知れば知るほど調べたくなる。
「どうですか? そろそろデッドです」
「ごめん、あと半年、いや一年はかかる」
「何年待ってると思ってるんですか!! 密漁博士になるつもりですか! 今回は言わせてもらう! 今どき、あんたのように締め切りを破って居直るライターなんてどこにもいないんだ!!」