松之丞改め六代目神田伯山の活躍まで、講談は低迷していた
■長い眠りから目を覚まし、講談はどう変わるのか。
ただ、講談と講談師はそれでもこの世から消滅することはなかった。昭和43年、人気テレビ番組『お笑い三人組』で知られる一龍斎貞鳳が『講談師ただいま24人』を出版し、「24人」という数字が世間に衝撃を与えても、戦後たった一軒で「講談定席」の看板を守ってきた本牧亭が平成2年に閉場しても、女流講談全盛の中、男性入門者が激減し「講談って男もやるんですか?」と聞かれても、昭和、平成の講談師たちは日々、高座に上がり、張扇でパパンと釈台を叩きながら、「講釈師見てきたような嘘をつき」「冬は義士夏はお化けで飯を食い」でおなじみの芸を披露し続けた。
そして平成が終わり、令和となった現在、講談界は大きな胎動を感じている。六代目神田伯山という逸材を通して、世の中の人々が講談を再発見し始めている。長い眠りから覚めた講談は、これからどう変わるのか。「講談」という素敵な読み物の第2章が今、始まろうとしている。
講談と落語はどう違う?
両者の高座姿を見比べれば、違いは一目瞭然だ。どちらも着物姿で登場するが、落語家は座布団の上で江戸や明治大正の庶民生活を活写する。これに対して、講談師は前に釈台を置き、時々張扇で釈台を叩きながら、歴史上の物語を読む。語りの中身も特徴的で、落語は登場人物の面白い会話を楽しむが、講談はト書き部分の語りに独特の調子があり、ある時は格調高く、ある時は叙情的な言葉のリズムに引き込まれながら、物語を味わうのだ。
演目と演じ方にも、それぞれの違いがある。落語のネタは古い時代の話でも、細かな日時や人名はあいまいで、内容もほぼフィクションである。これに対して、講談は歴史上の事件・人物を題材にしたノンフィクションだ。ただ、講談の場合、史実を扱うとはいえ、演出や脚色は自由であり、「四実(史実)というから、真実が十のうち四つしかない。実六(実録)だったら、真実は六つだけ」などと講談師がうそぶく。ただ、両者の演目の中で、落語の人情噺と講談の世話物だけは区別がつきにくい。どちらも市井の人々の喜怒哀楽を描いた長編であり、演目も落語と講談で共通なものが多いのである。落語家が演じれば人情噺、講談師が読めば世話講談と納得するしかない。
●抜粋第1回:六代目神田伯山が松之丞時代に語る 「二ツ目でメディアに出たのは意外と悪くなかった」
●抜粋第3回:爆笑問題・太田光が語る六代目神田伯山「いずれ人間国宝に」「若い子も感動していた」
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