「短歌は好きのレベルを超えている」韓国人の歌人カン・ハンナは言った
最初は出演者の1人に過ぎなかった。しかし2016年を皮切りに3年連続で角川短歌賞に入選するなど、めきめきと腕を上げた。その驚きも含めて、番組共演者たちは祝いのコメントを寄せていたのだ。
短歌の何にそんなに魅了されたのか? そう尋ねるとすっとシリアスな表情になり、「好きのレベルを超えている」と答えた。
「角川短歌賞に応募する際には、まず200~300首を詠む。そこから削って50首にまとめるが、『私はどういう人間なんだろう』って見つめ直さないと流れをつくれない。私らしさを31文字に凝縮するために、自分自身の過去や見たくない部分を見ないとならなかったので、とてもしんどかった」と、彼女は言う。
「でも、その作業をしていくうちに短歌=私になって、好きとか魅了のレベルを超えていった。今は短歌を通して、自分自身を表現しているところです」
厳島神社の経験が原点
歌人・タレントの活動をしながら大学院に通うのは、日本人であっても簡単なことではない。しかし学者と歌人のどちらも自分だからと、両立を決意している。その決意の根底にあるのは初めて日本を訪れた2006年の体験だ。
ツアー旅行で、行き先は広島だった。厳島神社で「この神聖な場所は何だろう」と圧倒された彼女は、「何百年も続く歴史を守り続けていくことや、生活の隣に祈る場が存在している日本の姿に尊敬の気持ちを持ち、日本をもっと知りたいと思った」と語る。
その後、来日。日本を知るだけでなく、「活動を通して日韓の懸け橋になれたら」と思うようになったが、それこそが両立を目指す理由だ。
「私の発言が韓国人の総意として捉えられてしまっては危険なので、メディアに出るなら歴史や文化を知る必要があると気付いた。本当にまだまだの私だけど、勉強しながら成長していけるのではないかと思っているので、短歌も勉強も続けていきたくて」
歌集の『まだまだです』というタイトルには、この言葉自体が好きな気持ちと、未来の可能性への希望の両方が込められていると明かす。
「自分自身の可能性に期待できる気がするから、『まだまだです』って日本語がすごく好きで。今よりもっと伸びるかもしれないと、前向きな気持ちにさせてくれるところが素敵だと思うし、読者にもそういう意味がある言葉だと、再認識してもらいたい。私は日本の方たちに支えられたことで、『まだまだです』という謙虚な言葉の意味や魅力に気付いたから」