『悪童日記』訳者・堀茂樹と「翻訳」の世界をのぞく──外国語に接することは「寛容の学校」
堀:心底、驚嘆しました。固有名詞はいっさい登場しないし、内面描写もまったくない。構成も文体も間違いなくオリジナルでした。
でも何よりも感心したのは、そのラディカルさ。見せかけの、噓っぱちのラディカルさではない、本物のラディカルさです。これほどナルシシズムから遠い、徹底的に抑制された表現の小説があるだろうか、と思いました。
それから朝までが長かった(笑)。パリの店は日曜日は休むのが普通ですが、アスファルト書店は日曜も午前中だけは営業しているのを知っていました。
シャッターが開くのを待ち構え、開店と同時に飛び込んで『ふたりの証拠』も買い、やはりその日のうちに読み終えました。
2作目はもっと強烈でした。このアゴタ・クリストフという人は紛れもなく本物だな、と確信しました。
おばあちゃんは、ぼくらをこう呼ぶ。「牝犬の子!」人びとは、ぼくらをこう呼ぶ。「〈魔女〉の子!淫売の子!」
罵詈雑言に、思いやりのない言葉に、慣れてしまいたい。ぼくらは台所で、テーブルを挟んで向かい合わせに席に着き、真っ向うから睨み合って、だんだんと惨さを増す言葉を浴びせ合う。(中略)言葉がもう頭に喰い込まなくなるまで、耳にさえ入らなくなるまで続ける。
しかし、以前に聞いて、記憶に残っている言葉もある。
おかあさんは、ぼくらに言ったものだ。
「私の愛しい子!最愛の子!私の秘蔵っ子!私の大切な、可愛い赤ちゃん!」
これらの言葉を思い出すと、ぼくらの目に涙があふれる。
これらの言葉を、ぼくらは忘れなくてはならない。なぜなら、今では誰一人、同じたぐいの言葉をかけてはくれないし、それに、これらの言葉は切なすぎて、この先、とうてい胸に秘めてはいけないからだ。
そこでぼくらは、また別のやり方で練習を再開する。
ぼくらは言う。
「私の愛しい子!最愛の子!大好きよ......けっして離れないわ......かけがえのない私の子......永遠に......私の人生のすべて......」
いくども繰り返されて、言葉は少しずつ意味を失い、言葉のもたらす痛みも和らぐ。
(アゴタ・クリストフ『悪童日記』「精神を鍛える」より)
この本が日本に紹介されているのかどうか気になったので、フランスの版元に電話してみると、日本ではまだ翻訳権が取られていないとのことでした。それなら自分がやってみよう、と。
出版できる当てはまったくなし。それでもやりたくて、場末のカフェで毎日、一夏かけて一気に訳しました。ワープロも原稿用紙もないので、ノートに縦書き用のマス目を引いて書き込みながら。
翻訳を見下していた自分が翻訳を根本から考えた
──それまでに翻訳の経験はあったのですか?
堀:当時日本は日の出の勢いの「経済大国」でしたからね、ビジネス方面でフランス語と日本語のあいだの仲介をする仕事はちょいちょいありました。通訳の方が多かったですが、いわゆる実務翻訳もアルバイトで少しやってました。でも文学作品を訳すのは『悪童日記』が初めてでした。
私がパリに行ったのは78年で、19世紀前半の大作家バルザックを研究するためでした。「研究者たる者、翻訳などという二級の仕事に手を出すべきではない」という、いまから思えば実に浅はかな考えにとらわれていました。
政府給費留学生試験の成績だけは抜きん出ていたので、自分はできるなどと勘違いして、翻訳を見下していたわけです。
それでいて、フランスでの強烈なカルチャー・ショックで頭がクラクラして大学にあまり行かなくなり、街で出会ったフランス人らとの付き合いにのめり込み、アルバイトで食いつなぐという、まさにバルザックの小説に出てくるパリの巷の漂流者のようになっていた(笑)。そんなころ、アゴタ・クリストフの小説に遭遇したのです。