最新記事

BOOKS

「物語はイズムを超える」翻訳家・くぼたのぞみと読み解くアフリカ文学の旗手・アディーチェ

2020年1月16日(木)18時00分
Torus(トーラス)by ABEJA

Torus 写真:笹島康仁

作品が出るたびに世界の文学賞をとり、「いずれはノーベル賞」の呼び声が高いナイジェリア出身の作家がいる。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。恋愛小説の中に、ポストコロニアル、移民、ジェンダーなどの現実を、鋭い観察眼とリアルな描写、ときに皮肉とユーモアを交えた筆致で描き出す。

「物語の力で、使い古された『フェミニズム』や『アフリカ』という言葉に息吹を吹き込んだ。これはイズム(主義、概念)ではできないことです」

アディーチェ作品の邦訳をすべて手がけてきた、翻訳家のくぼたのぞみさんは言う。

物語の持つ力とはなにか。本に描かれた場面などをもとに、読み解いてもらった。


200110_Adichie.jpg

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(2017年4月、ニューヨークにて) Lucas Jackson-REUTERS


チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(Chimamanda Ngozi Adichie)。
1977年、ナイジェリアに生まれ、19歳でアメリカに留学。03年にO・ヘンリー賞を受賞後、初の長編小説『パープル・ハイビスカス』でコモンウェルス初小説賞を受賞。イギリスから1960年に独立したナイジェリアでは7年後にビアフラ内戦が起きた。それを描いた『半分のぼった黄色い太陽』でオレンジ賞を最年少で受賞、長編『アメリカーナ』でアフリカ人作家初の全米批評家協会賞を受賞。2019年、短編集『なにかが首のまわりに』と『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』の邦訳、『アメリカーナ』の文庫版が出版された。

イズムでなく、物語の言葉で

はじめに、短編集『なにかが首のまわりに』に収録された同名の小説から、ある場面を紹介したい。ナイジェリアからアメリカへ渡った若い黒人女性(=きみ)が恋人の白人男性(=彼)とのやり取りを振り返っていく。


彼は、本気でナイジェリアを見たいと思ってるんだ、二人分の航空券を払ってもいいよ、といった。故郷に帰るために、彼にチケット代を払ってもらうのは嫌だった。彼がナイジェリアへ行って、ナイジェリアを、貧しい人たちの生活をぼんやりながめてきた国のリストに加えるのも嫌だった。そこの人たちは「彼の」生活をぼんやりながめることなどできはしないのだから。ある晴れた日に、きみはそのことを彼にいった。(中略)

きみは、ボンベイの貧しいインド人だけが本当のインド人だという彼は間違っている、といった。それじゃ、ハートフォードで見かけた太った貧しい人みたいじゃない彼は、本当のアメリカ人ではないってこと? 彼がきみを追い抜いてぐんぐん先に歩いていく。裸の、青白い上半身を見せて、ビーチサンダルで砂をちょっと跳ねあげて。でも彼はもどってきて、片手をきみに向かって差し出した。きみたちは仲直りして、セックスをして、互いに相手のヘアの中に指を走らせた。成長するトウモロコシの穂軸に揺れる房みたいに柔らかくて黄色い彼の毛、そして枕の詰め物のような弾力のある黒っぽいきみの毛。彼の肌は太陽にあたりすぎて熟れた西瓜のようになり、その背中にきみがキスしてローションをすり込んだ。

きみの首に巻きついていたもの、眠りに落ちる直前にきみを窒息させそうになっていたものが、だんだんゆるんでいって、消えはじめた。

「なにかが首のまわりに」河出文庫所収 から抜粋)

くぼた:ジェンダーの視点から制度や法律を変える議論には、イズムの言葉が必要です。でも、日常の生活を変えるには、つまり、人と人の関係を変えるには、「物語」が大きなヒントをくれます。小説や物語は、即効性はないけれど、あとからじわりと効いてきますから。

物語には大きな力があって、アディーチェ自身も「物語はとても重要」だと言っています。それも「単一の物語(シングルストーリー)」ではなくて「複数の物語」が大事だと。物語は人を傷つけるけれど、人を癒す力もある。彼女はその物語の力を使って、「人と人は対等でありたい」というメッセージを、読者の心の奥まで伝えることに成功しています。これは「イズム」の言葉にはできないことでした。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ハマス、拠点のカタール離れると思わず=トルコ大統領

ワールド

ベーカー・ヒューズ、第1四半期利益が予想上回る 海

ビジネス

海外勢の新興国証券投資、3月は327億ドルの買い越

ビジネス

企業向けサービス価格3月は2.3%上昇、年度は消費
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 2

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の「爆弾発言」が怖すぎる

  • 3

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 4

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 5

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 6

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 7

    「なんという爆発...」ウクライナの大規模ドローン攻…

  • 8

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中