吃音の人と向き合うときに知っておきたいこと
そして読み進めるほど、知らなかったことの多さに驚かされもした。さまざまな事例が紹介されているのだが、「なるほど」と納得できることがとても多かったのである。
例えばいい例が、吃音の発症の原因について書かれた第2章で紹介されている研究結果だ。
紹介されているのは、2013年にオーストラリアで発表された「4歳になるまでの、吃音の自然発症率:前向き研究」(前向き研究:研究を立案、開始してから新たに生じる事象について調査する研究)という疫学研究の結果だ。1911人の子どもを生後8カ月から4歳まで追跡し、生育環境と吃音発症の関係について調べた前向き研究。この研究でわかったことは、大きく分けて次の3点だったのだそうだ。
1 子どもの性格・気質・感情面は、吃音発症に関係ない。
2 母親の精神状態は、子どもの吃音発症に関係ない。
3 吃音のある子は、他の子と比べて、言語発達が良い。(84ページより)
注目すべきは、この論文において吃音が「急激な言語発達の"副産物"である」と結論づけられている点だ。つまり吃音は、言語の発達面で劣っているから始まるのではなく、逆に、進みすぎているために始まることが示唆されているのである。
だから私は、診察時、「なぜ、吃音が始まったのか」を本人に説明する際、
「君の頭の回転が速すぎて、口がついてこられなかったからだよ」
と言っています。すると、誇らしげな表情を見せてくれるお子さんがいます。吃音があることで、マイナスに感じることを最小限にしたい――それが私の臨床姿勢になっています。(85ページより)
どもることで笑われたり、驚かれたり、怒られたりしていると、「吃音は悪いこと、恥ずかしいこと」と思うようになっても無理はない。だから、あのときの左官屋さんのように、言葉少なになってしまう人は決して少なくないのかもしれない。
しかし「頭の回転が速すぎるから」という説明には説得力があるし、それは吃音に悩む子を勇気づけてもくれるはずだ。
そういう意味でも、周囲の理解が必要とされるのだろう。しかもそれは、吃音者が子供であっても大人であっても同じだ。事実、吃音者の多くは孤独感に苛まれているのだという。
二〇一三年、北海道のある病院に勤めていた吃音のある男性看護師が、自ら命を絶ちました。看護師国家試験に合格した後、病院で働き始めて四カ月後のことでした。
自分に吃音があることは職場には伝えていたものの、職場の無理解によって追い詰められていく様子が彼の手帳には記されていました。
「大声を出されると萎縮してしまう」
「話そうとしているときにせかされると、言葉が出なくなる」
「どもるだけじゃない。言葉が足りない。適性がない」
「すべてを伝えなければいけないのに、自分にはできない」
同年七月、病院からの連絡で母親が駆け付けると、男性は自宅で死亡していました。携帯電話には、家族に宛てた未送信のメールが残っていました。
「相談せずに申し訳ありません。誰も恨まないでください。もう疲れました」
この痛ましい事件は地元の北海道新聞はもちろんのこと、朝日新聞をはじめ全国紙でも大きく報じられ、社会的に高い関心を集めました。(188~189ページより)
孤独感の質もさまざまだろうが、特に思春期以降で多いのは、「人にツッコミを入れることができない」という悩みなのだそうだ。