地方都市のスナックから「日本文明論」が生まれる理由
社交場、共同体としてのスナック
夜の店といえば、他にもバーがありますが、これもスナックとは別のものと考えられます。カウンターで誰とも話さずに1人で飲めるのがバーです。それに対して、スナックは話し相手を求めに行くことが前提ですから、1人で飲むだけで誰とも話さないのは、やや「スナックの作法」に反するかもしれません(笑)。
日本でスナックの数が一番多いのは福岡市博多区、次が札幌市中央区で、このように中洲やすすきのといった歓楽街を有する場所が挙げられます。しかし、人口1人当たりでスナックの数を割り出すと、高知県、沖縄県、熊本県、宮崎県、秋田県、青森県、北海道などにある比較的人口規模の小さい町村が上位20位以内に入ります。
ですから、実に多くのスナックが地方都市にあり、人口3000人規模の町であれば、必ず1軒は存在するのです。都会と異なり娯楽が少ないので、たわいのない会話を求めて人々が集まる社交場です。そこにはPTA、青年会議所、農協、消防団の人など、さまざまな人が集い、地元の情報交換をしたり、家族や地域などに関する世間話をします。
また、キャバクラやクラブではほとんどが男性客であるのに対し、スナックでは女性が1人で来ることも珍しくありませんし、夫婦でスナックに来ることもよく見受けられます。
最近では、客のいない午前中や昼間に高齢者がスナックでカラオケをするという取り組みもあります。
公民館、図書館、デイケアセンターなどの公的サービスを行うための公共施設を新たに建設するのは、人口規模の小さな自治体にとっては多大な負担です。ですから、スナックのようにすでにある施設を団らんなどの場として利用していくのは、地方の急速な高齢化や医療費増大への対策として考えられるのではないでしょうか。公共性という視点からスナックを再考する価値はあると思います。
スナック研究の奥深さ
お酒が出る場所で女性がいる夜の街というと、普通は世界中のどこでもセックス(性)が介在します。しかし、日本の夜の文化ではセックスは直接的なものではありません。また、お酒を飲んで世間話や政治談義をしながらも、べろんべろんになって乱れることはよしとされず、節度をもって飲むこと、つまりコミュニケーションが取れるくらいにはしらふを保つことが日本の夜の文化では求められます。
本書の高山大毅の論文に詳しいのですが、これは本居宣長の「物のあはれ」にひとつのルーツがあるようです。宣長はご存じのように「国学」の人ですから、四角四面なイメージがありますが、実際は『源氏物語』を読んで素直に感動するような「まごころ」を持つことを重視した人です。