日本の貧困は「オシャレで携帯も持っている」から見えにくい
『子どもの貧困連鎖』で知る、読む側のお節介な推量を超えた格差社会のショッキングな実態
『子どもの貧困連鎖』(保坂渉、池谷孝司著、新潮文庫)のもとになっているのは、2010年4月から11年2月までの長期にわたり、共同通信社が配信した連載企画「ルポ 子どもの貧困」。2012年5月に光文社から刊行され、今年5月に文庫化された。
つまり、大幅に加筆修正されているとはいうものの、最初の取材からは5年以上が経過していることになる。
いや、本書の内容に文句をつけたいという意味ではなく、まず現実問題としての時間の経過が気になったのだ。つまり、それだけの時間が経過しているなら、子どもの貧困問題は現在さらに深刻化しているのだろうなということ。
事実、「はじめに」では2009年の子どもの貧困率が14.3%だったと書かれているが、去る2015年11月21日の毎日新聞は、「2012年の国民生活基礎調査によると、子どもの貧困率は16.3%で過去最悪を更新した」と報じている。だとすれば、そこからさらに3年を経た現在、状況がより悪化していたとしてもまったく不思議ではないはずだ。
しかも本編に書かれている子どもたちの実態は、こちらのお節介な推量をはるかに超えるものだ。まず登場するのは、百円ショップで買ったオブラートを食べて飢えをしのぐ3人の女子高生。どの子も家の事情で生活がままならなくなり、働きながら夜間定時制高校に通っている。
そのうちのひとりは睡眠時間を2時間にし、朝が9時までコンビニのレジ打ち、昼は10時から午後3時までファストフード店。夜は5時半すぎから9時まで授業に出たあと、飲食店で深夜労働と、日に3つのバイトを掛け持ちした時期もあったそうだ。そして、そんなときは駅のトイレで寝泊まりしていたのだという。
「あのころはホームレスみたいでした。夜、仕事が終わると、もう電車がないんです。だから、駅の多目的トイレで寝泊まりしてました。全部合わせると、三十回ぐらい泊まったかな」(18ページより)
ふんわりとした印象もあるこの言葉だけを抜き出せば、女子高生のお泊まりごっこのように思えるかもしれない。しかし苦肉の策であることは事実であり、裕福な家庭環境から一気にどん底に落とされた彼女は、やがてリストカットをはじめ、その延長線上で首吊りによる自殺未遂も経験している。根底には自己否定感があるというが、当然ながら彼女自身に責任はない。
そして事情は、他の子たちにしても似たり寄ったりだ。定期代を節約するために学校までの約30キロを自転車通学する子、親が国民健康保険料を滞納して無保険状態なので病院へ行けない子、奨学金を家賃に回さなければ生きていけない子など、多くの子がさまざまな問題を抱えながら生きている。