日本の貧困は「オシャレで携帯も持っている」から見えにくい
日本では、子どもが路上で泣いているわけではなく、今は安い服もありますし、オシャレだったり携帯電話も持っていたりして、困窮状態にあるかどうかは見た目でははっきりと分からない場合も多い。(中略)だから「ない」とか「たいしたことない」とかになってしまう。本人にもプライドがあって隠そうとします。(中略)それで助けを求めずに状況を悪くし、疲れて絶望的になって家族内で荒れたりします。(74ページ「識者インタビュー 教育予算の大幅増と学校機能の拡充を 東京大学教授 本田由紀さん」より)
現代の貧困が目に見えにくいという話はよく聞くが、たしかに高校生が携帯電話をいじっている姿は貧しそうに見えないだろう。しかし現実問題として、アルバイトのシフト変更などを知るために必要な携帯電話は彼らの大切なライフラインだったりもする。つまり、誤解に直結しやすいひとつひとつの"イメージ"が、彼らの実態を不明瞭なものにしているわけだ。
しかし、そのような状況に心を痛めながら読み進めていくと、第四章「幼い命育む砦に」で読者はさらにショックを受けることになるだろう。なぜならここでは、小中高生だけでなく、就学前の幼児にまで貧困の影響が及んでいることが明らかになるからである。
「先生、孫だけでも夜、保育園に泊めてもらえませんか」
五歳児クラスの純の祖母の直子が、重い足取りで入って来るなり、切り出した。
(中略)
「一カ月前から、家族で車の中で寝泊まりしているんです」
車上生活と聞いて、ベテランの園長の鈴木も、思わぬ事態に一瞬言葉を失った。
(中略)
「消費者金融からの借金が返済できず、家を手放して立ち退くしかなかったんです」
直子は車上生活に追い込まれた理由を話した。その後は、トイレと水道が使える公園に車を止めて、寝泊まりしていた。(220~221ページより)
いくら子どもとはいえ、いや、子どもだからこそ、車の座席がベッド代わりでは熟睡できるはずもない。ストレスもたまるだろうし、健全な成長は望めないだろう。しかし現実に、そういう子がいるのだ。
以後もさまざまな境遇に置かれた子どもが紹介されるが、食事を与えられなかったり、風呂にも入れなかったり、ボロボロの服を着続けているような子が予想以上に多いことに衝撃を受ける。
政府は「アベノミクス」によって景気が回復傾向にあると強調するが、だとすればここで明らかにされている子どもたちの状況についてはどう説明できるのだろう?
しかも問題は、本書のタイトルにもある貧困の連鎖だ。「あとがき」で著者も書いているとおり、親に経済力がなかった場合、子どもは人生のスタートラインから差がついてしまう。そしてそこから連鎖がはじまり、将来も生活に苦しむという貧困の連鎖が生まれがちだ。
だからこそ、連鎖を断ち切ることが急務だ。貧困の連鎖を止めるために教育の保障を改善し、子どもたちを連鎖から抜け出させること。それこそが、いま求められることなのではないだろうか。「一億総活躍」などとおめでたいことをいうのは簡単だが、まず先にすべきことがあるはずだ。
ひとりでも多くの方に本書を読んでいただきたいと感じている。もしも身近に子どもがいなかったとしても、これはすべての日本人の将来を左右する重大な問題であるからだ。
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