「人間」ヒトラーと向き合うドイツ
モーラは当初、ヒトラーの親友でありながら死刑を免れた建築家アルベルト・シュペールの伝記映画を撮るつもりだったという。モーラがハイデルベルクのシュペールの自宅で一日過ごした際、シュペールが30年代のホームビデオ映像を見せてくれた。その中に、エバ・ブラウンが山荘でビデオカメラを手にしている姿が映っていた。
「『エバ・ブラウンが撮った映像はどうなったのですか』とシュペールに尋ねたら、『存在しない』と答えた。彼は嘘をついていた」
数週間後、モーラの創作活動のパートナーでドイツ人のルッツ・ベッカーがパーティー会場で、ドイツ降伏時にヒトラーの山荘に最初に踏み込んだ一人だというアメリカ人兵士と知り合った。ビデオ映像の有無を尋ねると、兵士は「ああ、たくさんあったよ」と答えたという。
モーラはワシントンの国防総省を訪ね、映像を探すよう依頼。返事は期待していなかったが、3カ月後、映像が見つかったという電話がかかってきた。
「呆れて何も言えなかった」と、モーラは振り返る。「貴重な映像が、誰も要求しなかったために放置されていた」
こうして発見された映像を盛り込んだ『スワスティカ』は、不吉な雰囲気に満ちている。ナレーションも大したストーリー展開もないが、本能を揺さぶる何かがある。
仲間のナチス党員と平凡な会話を交わすヒトラーは、非常に人間くさい。そして次の瞬間、画面は熱烈な声援を受けるヒトラーを映したニュース映像に切り替わる。モーラが言うように、その群集はまるで「ローリング・ストーンズのコンサートで叫ぶファン」のようだ。
別の視点でナチス時代を考えるきっかけに
観客は、人々の陶酔に飲み込まれるような居心地の悪さを感じる。一方で、皮肉たっぷりのユーモアもある。映画の最後に登場するのは、今まで見たこともないほど残虐なホロコーストのシーン。そしてエンドロールとともに、ノエル・カワードの風刺ソング「ドイツ人にひどい態度を取るのは止めておこうぜ」が流れる。
モーラは、ヒトラーが悪であることに疑問を呈したり、ドイツ史上最悪の暗黒時代を軽視しているわけではない。ただ、あの時代を別の視点で考えるきっかけを提供しているだけだという。
「この作品は、ヒトラーが残忍な殺人鬼であると誰もが知っているという前提で作られている。その点に議論の余地があるなんて思ってもみなかった。だが、ヒトラーも父と母、姉妹と愛犬がいる人間であり、その点が人々を本能的に不安にさせた。ヒトラーが宇宙人や悪魔なら『次』はないはずだが、実際には第2のヒトラーが現れる可能性は高い」
フンボルト大学での上映会に参加した映画プロデューサーのイエンツ・ケーター・コール(46)は、ドイツの高校の教育過程に『スワスティカ』を取り入れるべきだと指摘する。「ドイツで育つ子供たちは、ナチスやホロコーストの事実を学んでいる」と、彼は言う。「だが感情面での理解は抜け落ちている。ナチスには、人々が追随したくなる魅惑的な何かがあった。『スワスティカ』を見ると、それがわかる」
ドイツが過去をゆっくりと消化していくにつれて、今後も議論が沸き起こるだろう。エルペルに言わせれば、その最後のフロンティアが、若手映画監督が特に関心をもっているユーモアのジャンルだ。
「皮肉や風刺を使ったアプローチは過去と向き合う一つの方法だ」と、エルペルは言う。「非常に深刻な問題について笑うのは大切なことだ。風刺とはそういうもの。10年後には、風刺を通してヒトラーと向き合う時代が来ているだろう」
(GlobalPost.com特約)