今だから語れる役者人生の裏側
ピット まさか。俳優なんて問題外だった。
ランジェラ どこで育った?
ピット オクラホマ州とミズーリ州。大学の卒業式が2週間後に迫っても、社会に出る心構えが全然できてなかった。そんなある晩、ひらめいたんだ。よし、映画をやろう、ってね。2週間働いて200ドルをかき集め、車でロスに出た。1週間後にはエキストラをしていた。現場にいるだけでわくわくした。ロバートの『レス・ザン・ゼロ』にも端役で出たよ。
ダウニー らしいな。22年も前のことだ。あんたがエキストラにいるって知ってたら、ほうっておかなかったよ。「おい、すごいイケメンがいるぞ、キャストに入れろ!」ってね。
ハサウェイ ブラッドの話は売れない俳優に希望をくれた。私は15歳のときにバーガーキングのCMに出たの。慢性気管支炎なのに、どうしても俳優になりたくて。
ホーキンス 私は『スター・ウォーズ エピソード1』のエキストラよ。ジャー・ジャー・ビンクスと群衆のシーンに紛れてるわ。
ランジェラ 映画に初めて出たのは70年の『メル・ブルックスの命がけ!イス取り大合戦』。英語がわからない300人のユーゴスラビア人に監督が演技指導するのを見て、大笑いしたよ。
ピット 子供のころから俳優になると決めていた?
ランジェラ 7歳のときだ。「学芸会で妖精をやりたい人?」と聞かれ、手を挙げたんだ。姉が主役だったから、ライバル意識だな。
ダウニー (ロークに向かって)影響を受けたといえば、『ナイン・ハーフ』のあなたとキム・ベイシンガーは忘れられない。
ローク 俺よりよく覚えてるだろうよ。
ダウニー 俺はうぬぼれが強いからお世辞は言わない。『ナイン・ハーフ』のあんたほど色気があって謎めいていて、粋で奥行きのある男は初めて見た。これぞプロの仕事だと、自信をなくしたよ。
ローク 俺は不本意だった。監督と俺は『ラストタンゴ・イン・パリ』を超えるセックス描写をめざしたのに、キムが嫌がった。行くところまで行きたかったんだが。
ピット 『エンゼル・ハート』では本番まで行ったよね。
ローク 誰が言った?
ピット 伝説ですよ。駆け出しのころの僕には神様が3人いた。ショーン・ペンとゲイリー・オールドマンとあなただ。
ローク 『エンゼル・ハート』は勉強になった。なにしろ、相手はロバート・デ・ニーロだ。俺は注意力が散漫で集中力に欠ける。だからボクシングでもダメだった。だがデ・ニーロは集中力の塊だ。(監督の)アラン・パーカーに「デ・ニーロは完璧にせりふを覚えているのに、あんたときたらまたナンパか」と苦笑されたよ。
──ブラッド、(コーエン兄弟の新作)『バーン・アフター・リーディング』で演じたチャドは、救いようのないまぬけ男だ。
ピット 僕が死んだら、チャドとして記憶されるんだろうな。アンジェリーナ(・ジョリー)も、撮影現場で僕のまぬけな髪形と衣装を見てあきれてた。「あなたを見て色気を感じないのは初めて」だってさ。