書くことは「撃つ」こと、考えること。簡単ではないが、書ける人は強い
常套句を使うとなぜいけないのか。あたりまえですが、文章が常套的になるからです。ありきたりな表現になるからです。
しかし、それよりもよほど罪深いのは、常套句はものの見方を常套的にさせる。世界の切り取り方を、他人の頭に頼るようにすることなんです。(53ページ)
既にいろんな人によって使い古された表現である「抜けるように青い空」と書いた時点で、書き手はまともに空を観察していない、というのである。
他者の目で空を見て「こういうのを抜けるような青空と表現するんだろうな」と感じているだけなのではないか。他者の頭に自分を預けてしまっている。自分で考えることを放棄している。
空を見て、なにかを感じたという、いつもとは違うその気分、特別な心持ちを、自分の五感で観察し、自分だけの言葉で描き出そうとする。そうすることが、文章を書くことの最初であり、最後だと、著者は説く。
「言葉にできない美しさ」と、よく人はいいますが、それは言葉にできないのではない。考えていない。もっといえば、当の美しさを、ほんとうには感じてさえいないからなんです。(56ページ)
ここまでで、考え抜くなんて面倒くさい。表現など自分には無用。最低限のコミュニケーションとして書く文章だけでじゅうぶんだ、と思った人もいるだろう。果たしてそれでよいのだろうか。
うまいメールを書ける人は出世する
表現者というのは、画家や小説家やミュージシャンだけではないんです。職人さんだろうと公務員だろうとサラリーマンだろうと、仕事とは、結句、表現ですよね。商品や技術やサービスを売る。自分のことを、表現する。労働の本質は、そこです。(20ページ)
プロや、いい文章を書いてみたいと思っている人だけとはかぎらない。文章を書ける人は、ビジネスの現場でも有利である。
現代人は日常的にメールを書く。そのことに長い時間を費やす。メールの大半はなんらかの交渉のために書かれる文章だ。相手を口説くために書く。うまいメールを書ける人は出世する。
『三行で撃つ』では、上手なメール(手紙)として、編集者の依頼状を例に説明している。編集者は、一流の作家やライターという文章の練達の士を文章で口説く。
依頼の際は相手を三手で詰める。「自分はあなたを知っている」→「自分はこういう者である」→「したがって自分にはあなたが必要だ(あなたにも、自分は有用だ)」。
ただし、ストレートに「あなたと仕事がしたい」と書くだけでは、意外性がない。相手の「心を撃とう」とするなら、依頼者は自分だけの五感で相手を観察し、自分だけの言葉で、相手さえ気づいていなかった評を添える。