「みんな承認欲求をこじらせている。それを意識して選択しているか?」Tehuが語るネットと人生
「なぜ自分がそれをしているのか」を振り返ってほしい
――大炎上の際たるものと言えば2014年、18歳のときの「小4なりすまし事件」だと思います。あれは結果的に大バッシングされて今は鎮火しました。しかし、ネット上では今日も誰かに対する誹謗中傷はやむことなく続いていて、それに対して「嫌ならネットを見なければいい」という声もあります。
(※編集部注:「小4なりすまし事件」2014年11月、Tehuと大学の友人が小学4年生になりすまして衆議院解散に対する意見サイト『どうして解散するんですか?』を立ち上げ、そのクオリティの高さなどから即身バレしてしまった事件)
誹謗中傷に対して「ネットを見なければいい」とは確かによく言われますし、僕も今はほとんど見ていません。でも「見なけりゃいい」って言いますが、普通は見ますよね(笑)。
そもそも世に発信しているというのは承認欲求があるからで、承認欲求を満たすことが目的だったら、当然リプライは見るわけですよ。承認欲求を満たすためには表現するだけじゃなくて、反応がないと駄目なわけで。
でも「そこまでして人の悪口を言いたいのか」というのと同時に、「そこまでしてまで承認されたいのか」という問題もあると思うんです。
最近は誹謗中傷をした相手を訴える動きもあります。当事者にとっては、抑止力にはなります。でも、結局、同じ問題はくり返される。罰しても、見せしめにしても、世の中から悪いことはなくならない、ということは人類の歴史が証明しているじゃないですか。だから、僕らが本当に向き合わなきゃならない問題って何だっけ? という根本を忘れてはいけないと思います。
もちろん、叩く人も叩かれる人も、自分の内面に向き合うことで、なぜそういうことが起こったのか自分の中に原因を見つけることだって必要です。でも、目の前の問題だけに取り組もうとするからいつまで経っても変わらない。そこで、一歩引いて自分を客観視してみると、結果として気付けることもあるのではないかと思います。
――なぜ承認欲求をこじらせてしまった挙句、叩いたり叩かれたりの不毛なやりとりが生まれるんでしょうね?
今も僕もこじらせてますし、皆こじらせてると思うんですけど、その言葉自体にあるネガティブなイメージを僕は持っていない。それは一つの選択で、芸能人とかがそうですが、選択し続けることでしかできない仕事もあると思います。
人に注目されて評価されることが価値に直結するわけですが、それを意識して選択しているかどうかが大事なんです。ずっと続けていると自分はただ注目されたいのか、それとも自分自身の意思でそれをやっているのかが分からなくなってくるんです。
自分の本音すら分からないのに話を進めてしまうから、極めて危険な方向に行きます。だから、よかったら一回自分を俯瞰して「なぜ自分がそれをしているのか」を振り返ってほしいです。その結果、控えめな生活に戻るとしても、そのほうが本人にとっての幸せにつながるかもしれない。
そういったことを各々の人にやってほしいという思いから、僕は知人のインフルエンサーにこの本を送っています(笑)。