「みんな承認欲求をこじらせている。それを意識して選択しているか?」Tehuが語るネットと人生
――Tehuさんは、自身が10代で注目を集めたのはネットの力が大きかったと思いますか?
ネットそのものもそうですが、ちょうど中学生だった2010年頃から、匿名から実名になる流れがあったのが大きいと思います。この頃からTwitterやFacebookを使い始める人が増えて、各業界の中から注目される人が現れ始めましたよね。
同時に、フォロワー数がアカウントの価値を明確にするようになりました。今でこそ「この人、フォロワーは何人だろう」と当たり前のように見ますが、2010年以前にはあり得ない考え方だったと思っています。そしてフォローという概念により、僕自身が自分の承認欲求を熟成していったんだと思います。
自分の承認欲求がどう育っていったかは本に書きましたが、その承認欲求が開花するタイミングとデジタルネイティブがもてはやされた時期とかぶってるんです。後の体験から考えればタイミングが悪かったのかもしれないけれど、いま振り返るとそれも含めて稀有な経験をさせていただけたし、そういう時代背景があってこその自分だったと思うんです。
僕のことを考えるなんて時間と思考の無駄
――この本では自分の生い立ちから始まり、Tehuという「炎上ゴジラ」を経て、バズらない「さとる」になるまでを書いています。過去の恥ずかしい自分を振り返って書き残す作業は、結構勇気がいったのでは?
3年前の僕だったら、できなかったと思います。ただこれは2年間、誰かと共有するためではなく、自分のこれからのために清算しようと考え続けてきたことだったので、それを誰かに見せること自体には心理的なハードルを感じませんでした。
だって、検索すれば僕の過去の恥ずかしい発言なんていっぱい見つかるから。いまだに掘り返されたりするんですよ。それに比べたら自分の過去を自分の言葉で語るなんて、全然恥ずかしくない。
本にも書きましたが、僕ではない人が街中で暴れた映像を、僕がやったようにいまだに語られることもある。そんなのに比べたら、自分で何を言おうが全然マシかなと。
この本の締めくくりに、「己の承認欲求どころか、他人の承認欲求に踊る阿呆になるな」ってことを書いたんですけれど、僕がそこにいないにもかかわらず、今もなお僕の幻影を探し求めている人はいます。いい幻影でないのが残念なんですが、仕方ありません。いまだに僕にメンションを振る人もいれば、「あいつ消えたよね」と、笑う人もインターネットの世界にはいます。
でも僕のことを考えるなんて時間と思考の無駄だと思うんです。世の中には知らないことや面白いことがたくさんあるということを、この本と出合った人に伝えられるのであれば、それは恥ずかしさを越えて自分がやるべきことだと思います。