「うまい文章」は「いい文章」なのか? 身につけたいのは「いい文章」を書く力【ベストセラー文章術】
人は、うまい文章を書きたがる。切れる刀をもちたがる/Vika-pixabay
<「うまい」と「いい」は違う。読者が読みたいのは「いい文章」だ。朝日新聞名文記者が「善く生きる」ことを提案する理由>
「文章がうまくなりたい」と人は言う。じっさい、メールやチャットアプリを使う以上、文章でのコミュニケーションは生きるうえで欠かせない。SNSが一般化し、かつてプロのライターに限られた領域だった「文章での情報発信」に、誰もが参入できるようになった。
かつてのどの時代よりも皆が文章を書いている昨今、「あの人の文章はちょっといい」と思われることが人生に有利に働くことは間違いない。
うまい文章を書きたい。朝日新聞記者で作家の近藤康太郎氏のもとには、文章力を磨きたい後輩記者が集まるようになった。エース記者も育つ。35年の経験で培われた25の文章技術を解説した10刷のベストセラー『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)は、アマゾンレビュー600件超、星4.3。「実践できる思想書」として新たな読者を獲得し続けている。
では、「うまい文章」とはなにか? 同書より取り上げる。
※本記事は前後編の後編(前編:初心者も今すぐできる「伝わる文章」で心を撃つためのシンプルな3原則【名文記者の文章術】)
「うま過ぎる」文章はよくない
朝日新聞に「アロハで田植えしてみました」という連載記事を書き始めたのは、二〇一四年のことだった。都会から田舎に流れてきたライターが、縁もゆかりもない土地で、早朝の一時間だけ田仕事をするという、そこだけとればなんということもない企画だった。しかし連載一回目から、驚くほど多くのファンレターや電話、メールが来た。テレビ番組になり、本になった。連載はシリーズ化され、二〇二〇年、シーズン7まで続いている。
その記念すべき第一回が紙面になったとき、九州地方の新聞社の編集幹部に、掲載紙を送ったことがある。別件の取材でお世話になった方で、ごあいさつという程度。とくに深い意味はなかった。
その編集幹部は、現役時代から名文記者として知られた人で、本を何冊も出版し、文化部長や編集局長を歴任した人物だった。返礼のはがきに、こうあった。
「記事は読んでいました。なにしろうまい文章です。うま過ぎると言ってもいい。しかし、なにごとにつけ、『過ぎる』というのは、よくないことかも知れませんよ」
この短いはがきには、しばらく考え込んでしまった。