「うまい文章」は「いい文章」なのか? 身につけたいのは「いい文章」を書く力【ベストセラー文章術】
よく切れる刀は、鞘に収めておくがいい
黒澤明監督の傑作に「椿三十郎」という映画がある。主人公(三船敏郎)は、頭が切れてべらぼうに腕の立つ素浪人で、世の中に怖いものなどない男。敵の侍を容赦なく切り伏せる。その三十郎に、いかにも気品のあるおっとりした、城代家老の奥方が、諭す場面が忘れがたい。
「あなたはなんだかギラギラし過ぎていますね。そう、抜き身みたいに。あなたは、鞘(さや)のない刀みたいな人。よく切れます。でも、本当にいい刀は、鞘に入っているもんですよ」
徒然草は「よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ」と書いている。「歌よみは下手こそよけれあめつちのうごき出(い)だしてたまるものかは」とは、江戸時代の狂歌だ。
歌よみは下手な方がいい。うまい歌など書かれて、天地が動いてしまっては危なくて仕方ない。古今集の序文に、「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし」とあることに対する、強烈な皮肉だ。
「うまい文章」は果たして「いい文章」なのか?
人は、うまい文章を書きたがる。切れる刀をもちたがる。敵(読者)をなぎ倒す。しかし、その「うまい文章」は、はたして、「いい文章」なのか。
文章が、主体の感情、判断、思想を乗せて走るクロネコヤマトだとすると、そして受け取り印は読者の心が揺れたという現象だとすると、うまい文章に、喜んで受け取り印が押されるわけではないのではないか。
うまい文章などいらない。「いい文章」を受け取りたい。お客さんは、そう、思っているのではないのか? ここで、ついに問いが変奏される。
いい文章とはなにか。文字どおり、人を、いい心持ちにさせる文章。落ち着かせる文章。世の中を、ほんの少しでも住みいいものにする文章。風通しのいい文章。ギラギラしていない、いい鞘に入っている、切れすぎない、つまりは、徳のある文章。
切れすぎる刀は、人を落ち着かなくさせる。余裕がほしい。ふくらみが、文章にはほしい。では「ふくらみ」とはなんなのか。
ここでは、「誤読の種を孕(はら)むこと」と言っておく。この本の最後の弾丸、第25発(痕跡 ――わたしは書き残す。あなたが読み解く。)で、リプライズされるはずだ。
近藤康太郎(こんどう・こうたろう)
作家/評論家/百姓/猟師。1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。
著書に『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』、『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』、『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』、『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。
『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』
近藤康太郎[著]
CCCメディアハウス[刊]
2024年12月10日号(12月3日発売)は「サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦」特集。地域から地球を救う11のチャレンジとJO1のメンバーが語る「環境のためにできること」
※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら