「走る哲学者」為末大が、競技人生を通してたどり着いた「熟達」にいたる「学びのプロセス」とは

2024年3月14日(木)06時48分
flier編集部

「空」の世界に触れて思ったことは、「体は賢い」

──次に「空」についてお聞きしたいと思います。2001年世界陸上エドモントン大会で「空」を意識したことについて語られていましたが、この体験についてもう少し詳しくお聞きできますか。

為末 私は考えるのが好きなアスリートだったので、自分の体をどうやったらうまく扱えるかをずっと考えてきたんですね。でもいざ本当に重要な勝負になったとき、むしろ何も考えないほうがうまくいった感じがしたんです。

体験としては時間感覚が少しおかしくなって、あっという間に終わった気もするし、ハードルを跳ぶのがコマ送りのように感じられた気もする。観客の音が小さくなって足音が大きくなって、トンネルの中を走っているような、そういう感覚が残っていました。大げさに言うと「俺が走ったの?」という感覚に近い。あとはよろしくねって体に預けちゃったら、体がつい反応して走ってしまったというような。

──不思議な体験ですね。その体験の後に、競技に対するアプローチやトレーニングに変化はありましたか?

為末 「体は賢い」という気づきですね。それまでは頭が賢くて、体は道具だと思っていたんですけど、実は体が賢くて、頭は勝負するときには邪魔になるのではないかと思うようになりました。

考えてみると、体のパーツはあまりにも複雑で微細なので、頭ですべてをコントロールすることなんてできないわけですよね。ある部位を動かそうとしても、実際にはかなり漠然とした指令しか与えられていなくて、体が勝手に調整して細かく動いている。だから、そこに頭が指令を入れようとすると、ノイズになってしまうのかもしれません。

もちろん、トレーニングでは頭で考えていいんですけど、本番ではむしろその制御を外して、ただただ体が周辺環境と合わさっていくのに任せたほうがうまくいくんじゃないかと思います。

──本番で走るときに、どれくらい体に任せようとしているのでしょうか。

為末 コントロールができないロボット選手権みたいなイメージです。日常の練習ではロボットに「こういう状況でこうやって動くんだよ」とプログラミングしていって、当日そこにロボットを置いた後は、環境に合わせて勝手に動くのに任せると。そこでエラーが起きたとしたら、それは当日の問題ではなく、事前のシミュレーションの問題という考え方をします。

当日に手足をどう動かすかみたいな具体的なことを考えると、混乱が強くなって、エラーが出る感じがするんですよね。それよりも「今日は、前半をキレよくいこう」くらいの抽象度で考えるほうがうまくいきます。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

スペインの極右政党ボックス、欧州議会選へ向け大規模

ワールド

イランのライシ大統領と外相が死亡と当局者、ヘリ墜落

ビジネス

欧州当局、モデルナのコロナワクチン特許有効と判断 

ワールド

頼清徳氏、台湾新総統に就任 中国メディアは「挑発的
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 7

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 8

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 9

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 10

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中