誰とでも心地の良い「良質な会話」ができる、テクニックより大事な「意識」とは
私は時々、ベボ&シガーラ[キューバンジャズの名ピアニスト、ベボ・バルデス(一九一八~二〇一三)とスペイン出身のフラメンコ歌手、ディエゴ・エル・シガーラ(一九六八~)によるデュオ]の「あなたを愛してしまう」(原題:Eu Sei Que Vou Te Amar)という歌の途中で流れるカエターノ・ヴェローゾ[ブラジル出身の作曲家、歌手。一九四二〜]の朗読にじっと耳を傾ける。
ポルトガル語の歌詞は一つもわからないけれど、ベボ・バルデスの澄んだピアノの音とディエゴ・エル・シガーラのざらざらした壁を引っかくような歌声の間に染みるヴェローゾの朗読は、まるで渇ききった心まで柔らかくほぐしてくれる天上の絵のようだ。
言葉は内容以前に、音としてもよく聞こえなければならないと思う。だから、私はできる限り声の魅力を高めることに神経を注ぐ。話すスピード、発音、音程を調節してきれいな声を出すために努力する。
いつだったか、私が出演したラジオ番組の演出を担当していたMBCのシン・ソンフンさんが、モニターで私の音声波形を見せてくれ、「キムさんの声の波形は上の方が扁平に削られていて安定感があり、いい声です」と言われたとき、内心とてもうれしかった。なぜなら私は「演奏者」だから。
もう一つ、さっきも書いた「間」をうまく使うようにしている。音楽にも音符があれば休符も必要であるように、適切に休符を置かなければリズムがうまく生まれず、話に対する集中度が落ちてしまう。
そうやって「音楽としての話し方」を念頭に、聞き心地のいいポッドキャストにしようと努力しているからか、育児中の人や一人で作業するイラストレーターのような人たちから、「穏やかな声だ」「耳障りなところがなくて聞きながら作業するのにいい」「ずっと聞いていたくなる」といった褒め言葉をいただいている。
特に、外国にいる人が、母国語で静かに交わされる会話をただ聞いていたくて、ずっと音楽みたいにポッドキャストを再生しながら生活しているという話を聞いたときは、とても気分がよかった。「落ち着いていてやさしい母国語」という褒め言葉は、ずっと忘れられないだろう。
私の声を聞いている人たちが、その内容はみんな忘れてしまっても、聞いている時間だけはひたすら穏やかに、幸せな気持ちで、音楽みたいに声を楽しんでくれたなら、それ以上に望むことはない。