オートバイ業界初の女性トップ桐野英子新社長はなぜ「漢カワサキ」で認められたのか
にもかかわらず当時のカワサキがフランスで展開していたのは、カウル付きの高価なモデルばかり。そこで桐野氏は同じ事情を抱えた欧州他国のカワサキ現地法人も巻き込み、ヨーロッパ市場全体の要望として、使いこなせる性能でリーズナブルな価格のネイキッドモデルを開発するよう、親会社に訴えた。
その結果、欧州向けモデルとして誕生し、2003年にフランス市場へ投入されたのがZ1000である。
「おかげさまで大当たり。KMFはヨーロッパで最大数のZ1000を売り、国内シェア1位を奪い返しました」
フランスには、足かけ8年駐在。
「振り返ってみると、とても充実していたという印象しか残ってないんです。バイク愛があればどんな相手とも意思疎通できる、共通言語になり得るという経験は、日本への帰国後もいろいろな仕事を助けてくれました」
超弩級バイク「H2」の企画担当に
KMFで確たる実績を残し、営業本部に復帰したのは2009年1月のことだった。約2年在籍した後、自ら希望を出して技術本部の商品企画部へ異動する。
「自分が直接関わって、ニューモデルを世に出してみたかったんです」
理系学部で専門の勉強をしていないことが気にかかったりはしなかった。
「設計担当の技術本部の人が知らないことを、私が知っている場合もありますから。フランスのマーケットはこんなものを求めている、こう使っているというのを8年間毎日毎晩見てきたことは、会社の中にいたのではわからない領域ですし、営業やマーケティングの観点からの意見もそう。製品開発においてはお客様のニーズを調査、分析した上で、さまざまなスタッフが専門分野を持ち寄り、モデルの方向性を決めていくのですが、商品企画担当者は船頭のような役割を果たします」
その際の互いの共通言語になるのが、まさにバイク愛なのだろう。
"船頭"としての彼女の仕事で特筆すべきは、現在もカワサキのラインナップの筆頭を飾るフラッグシップモデル、Ninja H2の担当者を務めたことだ。スーパーチャージャー付きエンジン搭載の、世界を驚かせた超弩級バイクである。破格のエンジンを積んだバイクを最終的に製品として完成させる上での、取捨選択の舵取りを行ったのだ。
「またがった時にまず目に入る部分だから、フルカラーの液晶メーターにしてライダーの所有欲を満たすべきではないかとか、走行性能向上のためにホイールをマグネシウム製にするか否かとかを、予算など現実的な制約もにらみつつ協議して決めていく作業は、すっごくやりがいがありましたね」
女性だから社長になれたわけではない
2015年からマーケティング部に移り、各モデルのグローバルなPR方針の策定や、ワークスとしてのレース活動のプランニング、出場ライダーの決定・契約の管理などに従事。2018年には同部部長となった。
そして川崎重工から『カワサキモータース』が独立するにあたり、同社の伊藤浩社長より直々に、KMJの経営を託されたというわけだ。