読む人の心を撃つ「うまい文章」を書くためのシンプルな三原則
「あ、すみません。時間に関しては前々回の訂正の部分がやっぱり正解で、日にちについてはその次の連絡が正しい日時です」
「あ、すみません、やっぱり間違っていて直近の訂正が正解ということがわかりました。ただし、皆様に送ったメールに時間差があり、前回分と前々回分というのが人によって異なる可能性があるのでご注意ください。一斉送信したのですが、あとから決まったメンバーの分は後から送りましたので、その人にとってそれは初回です」
――町田康『人生パンク道場』
大笑いです。ここまで分かりにくいと、芸術ですね。「わたしは宴会の幹事など、よく雑事を押しつけられる。どうしたらいいでしょう?」という読者の悩み相談に、言葉の魔術師・町田さんが大まじめに答えている文章です。使えない幹事を演じて撃退しろ。発想といい、文章といい、最高でしかありません。
つまり、わたしたちは、この分かりにくい文章アートの、逆をすればいいのです。
その原則は三つだけ。
① 文章は短くする。
② 形容語と被形容語はなるべく近づける。
③ 一つの文に、主語と述語はひとつずつ。
■短く、近く、シンプルに―すぐ「うまく」なる三原則
①について。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
ご存じ、夏目漱石のデビュー作の書き出しです。「吾輩は猫なんだが、名前はまだ無いのである」とか、「吾輩は、まだ名付けられていない猫である」とは、ぜったいにしませんね。
もちろん漱石は、短い文章だけを書いていたのではなく、重層的にうねりをもたせた、複雑で長い日本語も書きます。ですが、総じて、短い、平易な文章を得意にしました。漱石の生きた明治時代とは、庶民にも分かる日本語を、主に小説家が開発し、新聞を通じて広めていた時代です。わざわざ難しい言葉は使わない。短い文章でたたみかける。漱石は町っ子。素の町人だったんです。
文章は、粋な町っ子でいきたいですよね。初心者はもう、すべての文章を分けてみてください。二つに分けられる文は、全部、二つに分ける。
②について。
わたしの敬愛する先輩に、悪文狩りの名人がいるのですが、その悪文ハンターが、ある日のテレビニュースで、「違法な野生動物の売買」とアナウンサーが話すのを聞き、憤慨していました。「耳を疑い、テロップもあったので目を疑った。野生動物にも法律守れってか?」。単に「野生動物の違法な売買」とすればいいだけの話ですね。「違法」なのは「売買」であって、「野生動物」が「違法」なわけがない。こういう文章は、たいへん多く見かけます。なぜかというと、文章の書き手は、自分の言いたいことが分かっているからです。あたりまえですね。
しかし、読者は書き手の言いたいことなんて分かっていない。多くの場合、興味もない。相手は自分の言いたいことを分かっていない。興味もない。そこから始めるしかない。謙虚さが、文章のコーナーストーン(要石)です。うまい文章を書く人は、人に対して、世界に対して謙虚です。