コロナ後に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」再来の希望
JAPAN AS NUMBER ONE, AGAIN?
コロナ封鎖が解除され、操業が再開されているホンダの武漢工場(4月8日撮影) Aly Song-REUTERS
<人を「コスト」でなく「財」としてみる。そんな日本の姿勢がかつて世界を魅了した意味を、多くの外国人労働者を受け入れる今こそ考えたい。本誌「ポストコロナを生き抜く 日本への提言」特集より>
日本の将来を左右する「出入国管理及び難民認定法の改正案」が2018年12月に可決・成立した。国家の長年の方針を大どんでん返しする法案であるにもかかわらず、国会において熟議されることなく、与党の数の論理で押し込まれた印象は否めない。国民が消化不良のまま迎えた「移民開国元年」の昨年を経て、世界中がコロナ禍真っただ中の今年4月、改正法は満1歳の誕生日を迎えた。
後に「あの時が日本にとって大事な局面だった」と振り返るであろう、歴史的な1ページを私たちは生きているに違いない。そしてこれは、かつて輝いていた日本的経営の「復活」にも大いに関わる話だと思う。
30年ほど前にも、日本はまとまった数の外国人労働者を受け入れた。それは日本人の慎重な国民性が表面化した瞬間でもあった。どうしても受け入れるなら、どこの馬の骨か分からないのでは困ると、かつて幸せを求めて祖国を離れ、海を渡った日本人の子孫に対象を限定した。血統主義を頼りに同質性に期待を寄せられ、迎え入れられた日系人だが、血の濃さより育った文化が勝っていたため、住み働くようになった企業城下町を中心に、受け入れ側も日系人労働者たちも狐につままれたような気持ちを味わうことになった。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と叫ばれた1980年代の日本はまぶしかった。当時、国内にとどまらず、世界に華やかに羽ばたいた日本経済のパワーに魅せられ、日系ではない私のような人間も大勢この国にやって来た。そして何よりもこの国を世界のトップに牽引したエンジンは、人を大切にする「日本的経営」であると知り、世界中が稲妻に打たれたかのような衝撃を受けた。労使対立が固定化し、性悪説に立った両者間の人間不信と緊張関係を基とするトップダウンの企業文化が主流だった時代に、その真逆ともいえる画一的で、労使協調型の「日本的経営」はやはり驚きでしかなかった。
日本的経営の海外移転の可能性も大きなテーマとなった。画一的な日本的経営が各国で導入されたときは予想どおり、威厳を失うことを嫌った現地のホワイトカラーが露骨に反発した。だが、それまで階層制の中で虐げられてきた、組織の大多数を占める一般工員からは人気を博した。
家族のような企業慣行に驚く
私の母国スリランカなど英国式が根付いている国々の企業文化にはステータス・ギャップという概念があり、例えば社内で使用するトイレや食堂は管理職、事務職と工員とで分かれている。そのような階層性の強い文化圏に、職位などを気にせず同じユニフォームを着用し、始業時はみんなでラジオ体操をし、仲間意識を持って助け合って仕事をこなし、仕事が終われば上司と部下が仲良く飲みに行く、まるで家族のような日本的慣行は大きなショックを与えた。