コロナ後に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」再来の希望
JAPAN AS NUMBER ONE, AGAIN?
私は、論文作成のためにいくつかの国の日系企業をリサーチしたことがある。品質管理のための自発的グループ活動であるQCサークルや5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)などの慣行が日系企業に限らず、非日系企業さらには学校などでも取り入れられ、「日本的経営」は世界の老若男女の合言葉となった。もとは「特殊で劣っている」と世界からレッテルを貼られていた経営方式が、1980年代頃から手のひらを返したように「普遍的で優れている」と称賛されるようになり、日本は長年の鬱憤を晴らした格好だった。
だが、あれから四半世紀を経て日本的経営のイメージは随分と変わった。ブラック企業、過労死、非正規雇用、ワーキングプア、パワハラ、従業員軽視など不評ばかりが聞こえてくる。私など「人を大切にする経営」に心酔して高校時代に来日し、一貫してそのテーマで学び続けて博士号を取得してその余韻のまま日本国籍を選んだ者にとって、今の状況はそれこそ本当に狐につままれたような気分だ。
今年に入ってからの突然のコロナショックがいずれ落ち着いてくると、日本企業では外国人労働者と共に働く体制が本格化するに違いない。ただ、経済が膨張するなかで人手不足を補うために日系人を受け入れた30年前と、日本経済が縮小しアジア諸国の経済が上向いているなかでの外国人労働者の受け入れは、同じようにはいかない。外国人労働者は日本の経営、さらには日本社会全体を映し出す鏡となる。右肩上がりの経済成長期でなくとも、人を大切にする日本的経営は永遠に不滅であるということを国内外に証明していく必要があろう。
多様性と包摂をキーワードに
かつて海外に生産拠点を置く日系企業の現地化のための、人材育成の一環として重宝された「技能実習制度」。それが今となっては低賃金労働力確保の変則技として日本社会に定着している点一つ見ても、楽観視はできない。実習生の過労死や自殺者を出すなど非人間的な制度運用が明るみになって「現代の奴隷制度」と悪評を浴びせられ、状況を無視できなくなった結果、登場したのが外国人を正面玄関から迎え入れるための入管法改正である。
それなのに、日本人労働者と同等の処遇をうたう特定技能1号と2号を盛り込んだ法律の施行から1年たっても、受け入れ目標は思うように達成できていない。原因は2つあり、具体的な体制が整わないまま法律が先走りしたことと、特に賃金において日本人と同等の条件で受け入れができる企業は限られるということだ。