無印良品は堤清二の「自己矛盾」だった
それを現実離れした「ユートピア(理想郷)」だと片づけるのは簡単だが、その一方で日本や世界を支配する効率優先の思想は立ち行かなくなり、数々の矛盾が生まれてもいる。そんな時代だからこそ、「人間が豊かに暮らし、働き、幸せを感じるとは、どういうことなのか」ということを考えるべきではないか。
そういう意味において、セゾングループの歩みを通して堤が導き出そうとした「解」を探ることには大きな意味があるということだ。
事実、堤のビジネスパーソンとしての原点である西武百貨店をはじめ、パルコ、ロフトなどの専門店、ホテル・レジャー、スーパーの西友や外食の吉野家、ファミリーマートなどのチェーンオペレーションなど、堤流ビジネスのヒントとなる事業はセゾングループに数多い。
そして、そんな中でも堤の強いこだわりが反映されていたのが無印良品だった。したがって堤の全事業に焦点を当てている本書においても、最も説得力に満ちているのは無印良品にまつわるストーリーだ。
堤は、無印良品を「反体制商品」と呼んでいた。
「同じセーターでも、ブランドのロゴを付けると2割高く売れる。お客にとって、本当に良いことなのか」
高価なブランドを身に着けた他人の姿を見て、消費者が焦りと羨望を抱き、同じようなブランドを買いに走る。こんな消費社会に、堤は異議を申し立てたわけだ。
堤本人が欧州の高級ブランドを日本に導入し、「庶民も豊かになれる」という夢を見させて西武百貨店を日本一に導いたにもかかわらず、である。
高級ブランドブームの仕掛け人が、真っ向からブランドを否定するのだから、これは自己矛盾以外のなにものでもない。
だが間違いなく、堤は自ら仕掛けた消費の流れに疑問を持つようになっていた。
つまり無印良品は堤の自己否定そのものだったのだ。(31~32ページより)
だが無印良品に限らず、堤のビジネスはすべてが矛盾や自己否定と表裏一体だったのではないだろうか。
ネガティブな意味ではない。さまざまな障害と真摯に向き合いながら、彼は常に満足することなく、それどころか目の前に映る景色に対して疑問を投げかけた。そして自身の前に大きな壁をつくり、それを乗り越え続けていった。
それを無駄な作業だと感じる人もいるかもしれないが、その見方は正しくもあり、間違ってもいる。なぜならそれこそが彼の生き様だからだ。そのことを証明しているのが、堤が打ち立ててきた数々の成功と、そして失敗だということだ。