日本の敗退後、中国式「作らない製造業」が世界を制する理由
スマホ6000万台を製造
もっとも、単に企業が多いだけでは活用は難しい。部品一つを取ってみても無数のサプライヤーがいれば、どの企業が信用できてどの企業が粗悪品を作っているのか、判断するのにも時間が必要だ。
「ガイドとしてエコシステム全体の要を担っているのがIDHだ」と、藤岡は言う。日本ではまだほとんど知られていないが、IDHに設計を依頼すると、どの部品をどこから購入するべきかまで事細かに指示してくれる。
このIDHを中心としたエコシステムはいつ頃から始まったのか。深圳でIDH企業の思路名揚を経営する楊濤(ヤン・タオ)会長によると、発端は2000年代前半の「山寨(シャンジャイ)携帯」だった。
山寨とは中国語で「山中のとりで」を意味する。当時の中国は政府の生産認可を受けた企業しか携帯電話を生産できない法律だった。しかし利益率の高さに目を付けた起業家が殺到。政府の管轄を受けない「山賊」たちによって携帯電話が続々と作られていった。
最盛期の11年には3000社の山寨携帯メーカーが乱立し、年間2億5500万台が生産された。中国のみならず、インド、ロシア、ブラジル、アフリカ諸国など途上国に輸出される一大産業へと成長。ただし、これらのメーカーはほとんどが設計能力を備えていなかった。中核部品である基板の設計を担ったのがIDHだ。
とはいえ初期の時点では、半導体メーカーである台湾のメディアテックや米クアルコムが提供するリファレンスデザイン(参照設計)と呼ばれる「設計図」を少し改造する程度で、能力の低いIDHも多かったと、楊は当時を振り返る。「上海、深圳には数百社ものIDHが乱立し、工場よりもIDHのほうが多いくらいだった。設計とは名ばかりで、ほとんど開発能力がなくても成り立ったからだ」
この山賊たちの宴は、スマホと4G通信規格という新しい技術トレンドによって終わりを迎える。半導体メーカーは実用に堪えるリファレンスデザインを提供できず、開発の際に飛躍的に高い技術力が必要になったためだ。こうして山寨携帯メーカーだけでなく、IDHも激減することになった。
淘汰の時代を生き残ったIDHはサプライチェーンの中で、大きな地位を占めるようになっていく。従来型の携帯電話と異なり、スマホでは部品が適合するかどうかのチェックがより重要だ。部品選定まで関与するようになり、発言権を増したIDHは、「エコシステム全体の要」となった。
【参考記事】日本の製造業がインダストリー4.0に期待するのは「危険な発想」
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