日本経済の真の課題 後半(最終回)
つまり、経済は生産と投資で成り立っており、生産しすぎれば、将来への投資がおろそかになり、両方を無限に同時に拡大することはできないのだ。カネには限りがある。
人にはもっと限りがあり、しかも、日本は人手不足であり、これは構造的に続く。その希少な労働力、特に若年労働力を目先の営業にこき使えば、彼らが将来への勉強となる仕事の経験が積めず、今は企業が儲かり、ボーナスが出るかもしれないが、将来の雇用の持続性が危うくなる。あるいは付加価値の高い仕事ができなくなり、給料が上がらなくなる。最悪の場合は、ブラック企業が働かせすぎて、肉体的にも精神的も壊れてしまい、一生、労働力としても使えなくなるどころか、人間として不幸になる。
したがって、景気はちょうど良い景気が重要なのであり、景気循環だから良くもなり悪くも成る。その循環の振幅が大きすぎると経済が不安定になり、前述のような投資も落ち着いてできなくなるから、なだらかにした方がいい。これが景気対策である。金融政策というのは、このように景気が過熱したときに、過熱しすぎて投資できなくなったり、物価が上がりすぎたりして、経済が買えって非効率になるのを防ぐために、引き締めを行うのである。近年のように、常に景気を拡大するのは、景気対策ではない。
「デフレ脱却」は呪いの呪文
では、なぜ、近年、景気対策が行われ続けたのだろうか。それは、潜在成長率という実力が落ちてきたにもかかわらず、それを認識せず、あるいは認識しても、それを受け入れられず、目先のGDPの増加を求めてきたからである。政治家もエコノミストもGDPの増大は是であり、その増加率が落ちてきたことに対して、それを引き上げることが経済の最優先課題であると思い込んで(株式市場関係者など一部の人々は確信犯的に)、経済の将来性を失う過度な景気対策を行ってきたのである。
あるいは、もう少し同情的に言えば、潜在成長率が落ちているという事実を認めたくなくて、無理矢理足元のGDP増加率を上げることで、何か勢いで流れが変わるようなことを祈って、あるいは呪文を唱えてきたのかもしれない。
アベノミクスのデフレ脱却の呪文は、株式市場の悲観を打破するにはプラスの効果を発揮したが、潜在成長率の引き上げの為には、むしろ、負の呪文だった。呪いの言葉として、デフレ脱却を唱えれば唱えるほど、経済の将来性、潜在成長力は失われていったのである。