世界を食らうテクノロジー(1/2)
頭脳の優秀さを誇る技術者や科学者が次々と未来技術に対する悲観主義に転向している。彼らは何を恐れているのか。
脅威 AIは知的労働も人間に取って代わりつつある(写真は日本企業グローリーの工場) Issei Kato-REUTERS
ベテランの科学技術者が宗旨替えをすると、テクノロジーに対して手がつけられないほど悲観的になる。
例えば、元マイクロソフトのコンピューター技術者で、インドの研究所も共同設立した富山健太郎。会社を辞め、『おたくの異説(Geek Hersey)』を出版した。テクノロジーは社会悪を正すよりむしろ悪化させる、というものだ。
富山や他の多くの技術者は、なぜ急に悲観的になり始めたのだろうか。『ロボットの台頭(Rise of the Robots)』で、テクノロジーに雇用を奪われる暗い将来について書いたソフトウエア技術者のマーティン・フォードもそうだ。人々の家にパソコンを普及させた責任者ビル・ゲイツでさえ、人工知能(AI)は危険で人類を絶滅させるかもしれないと言う。ノーベル賞物理学者のスティーブン・キングがまたこれに同意する!ロボティクスとAIの進化が、原子爆弾以来なかったような科学技術に対する恐怖と妄想をかきたてている。公開中の『ターミネーター』の最新作を観た観客は、これはいったい映画なのかドキュメンタリーなのかと考え始める。「AIに対する悲観主義は正しいと思う」と、富山は無表情に言う。「実際、それは今思われているより悪い」
何ということだ!
富山が正しいにせよそうでないにせよ、テクノロジー産業のイメージは今までとはまったく違うものになってきている。新しい技術や生活の変化を恐れる人々はいつの時代にもいるが、ほとんどの場合、テクノロジーは未来への楽観主義をもたらしてきた。
1851年にロンドンで開かれた世界初の大博覧会では、一般大衆が鉄や写真や電報の驚異を目の当たりにして想像力が大きく広がった。1939年と1964年にニューヨークで開かれた博覧会では、オートメーション、自動車、飛行機などの有望技術が紹介された。1990年代後半のドットコム・バブルとグローバライゼーションも、人々のつながりと、平和と、新たなデジタル経済への夢をもたらした。