雇用統計の「まぼろし」に一喜一憂する愚かしさ
手短に言おう。アメリカの労働力の多く(おそらく4分の1程度)は今、まったく働いていないか、食べていくのにぎりぎりの稼ぎしかない人で占められている。年率2.5〜3.5%強程度の成長では、この現実を魔法のように消し去ることはできない。
今はかなりの数の企業がひと握りの労働力で数十億ドルもの利益を上げる時代。だがそれは、もはや彼らが提供する製品を作るのに人間が必要でなくなったからだ。
それでも多くの企業は、自社が必要とする技能を持った労働者を見つけられずに苦労している。一方では数千万人の労働者が標準以下の仕事をし、より良い仕事を求めているというのに。これもまた、いま期待されている程度の経済成長で解決できるような問題ではない。
最大の過ちは、政府の政策が雇用問題を景気循環の問題だと定義したことだ。景気が悪くなれば失業は増えるが、景気さえ好転すれば失業も解消するというのだ。大恐慌以降今日までの雇用問題のほとんどすべてがそうだったように。
格差はこれからが本番だ
選挙シーズンには、誰が危機をもたらしたのか、と責任のなすり合いが盛んになる。だが、アメリカの雇用市場は4年以上前から移行期にあり、それが今後何年も続くだろうということは誰も認めようとしない。政府は転換期の痛みを和らげることもできるのだが、まずは問題の核心を正しく把握しなければ何も始まらない。
大統領選を前にしたこの政治の季節、毎月の雇用統計は熱い政治討論の種になってきた。だが構造問題やそれに対する解決策が議論されることはまずない。受けが悪く解決の難しい問題にはあえて触れないという暗黙の了解だ。せいぜい、雇用訓練や教育を提案するぐらいだろう。
構造問題を無視することは、選挙にはプラスかもしれない。だがアメリカは将来の国益を左右する問題に何の手も打たないまま時間を無駄にすることになる。それは最新技術がもたらす貧富の差の拡大や、加速するグローバル化、アメリカやヨーロッパ諸国など世界の中心だった大国が新世代の新興国に太刀打ちできるか、といった問題だ。雇用統計に一喜一憂している場合ではない。
[2012年5月16日号掲載]