iPadは新聞も雑誌も救わない
奇跡を求めて「救世主」アップルにひざまずく雑誌業界の幻想
インターネット時代が訪れる前の話。イタリアの哲学者ウンベルト・エーコは、アップルとマイクロソフトの違いをカトリックとプロテスタントの違いに例えた。
マイクロソフトのパソコン用OS(基本ソフト)MS-DOSを基にしたオープンな世界では、「救済」に至る道も百人百様。だが、唯一の正統な教会たるアップルのマックOSの世界では、「信者は何から何まで教会の指示に従わなければならない」。
今や「キリストのタブレット」とまで呼ばれるほどのiPadの好調とともに、アップルのカトリック的傾向は加速しているようだ。
発表前のiPadは、単なる企業秘密というより宗教的神秘に覆われていた。宗派の指導者たるアップルのスティーブ・ジョブズCEO(最高経営責任者)は、今や十字架と同じくらい認知度が上がったアップルロゴの下に集った「ミサ」で、彼の「奇跡的で革命的な」新製品に祝福を与えた。
この比喩に従えば、iPad向けにコンテンツを提供する出版社は、フランスのルルドの泉に奇跡を求めて押し寄せる足の不自由な巡礼者というところか。
巡礼者たちは、ジョブズが彼らの電子雑誌を「アップストア」で売ってくれて、出版ビジネスを再生させてくれるという希望にすがっている。アップストアはネット向けコンテンツに課金する新しいビジネスモデルで、電子雑誌の全面広告さえ復活させてくれるかもしれないと。火あぶり覚悟で言おう。彼らは夢を見ているだけだ。
私自身iPadを使ってみて気づいたのだが、新聞や雑誌を読むのに気の利いたアプリケーションなど必要ない。画面が小さいiPhoneの場合は、アプリで利便性が格段に高まる。だがiPadの画面は十分大きくて明るい。ネットへの接続環境さえ良好なら、どんな出版物もアップルのブラウザ「サファリ」で読むのが一番だろう。
広告もアップルが決める
バニティ・フェアやタイムのiPad向け電子雑誌は、ページをめくるという時代錯誤を復活させようとしているだけだ。ユーザーにとっては、アップルが作った囲いの中にあるさらに小さな囲いに閉じ込められるような体験で、一刻も早く外に出たくなる。
1号当たり4.99ドルと高いが、今や電子版の標準となった基本的機能も備えていない。記事にコメントができないどころか、他の基本的な情報源へのリンクさえない。複数のブログを運営するゴーカー・メディアの創業者ニック・デントンは、こうしたメディアを容赦なく批判する。「CD-ROM時代への一歩後退だ」
出版社のもっと大きな過ちは、アップルが支配するマーケットを容認しようとしていること。ジョブズは気難しい門番だ。彼の囲いの中でビジネスをする限り、どんなアプリがふさわしいかを決めるのはアップルだし、売り上げの30%は上納しなければならない。
顧客データはすべてアップルのもので、今までのところ出版社と共有した例は皆無。どんな広告主やどんな広告がふさわしいかもアップルが決め、噂では広告収入の40%を懐に入れるつもりだ。
読者との関係まで支配されれば、かつての音楽業界と同じ打撃を受けることにもなりかねない。
アップルで最も警戒すべきなのは、検閲好きな体質だ。表現の自由に対する信念に突き動かされているグーグルに対し、ジョブズは情報漏れを何より嫌う。
裸にはバチカンより過敏
政治風刺漫画家のマーク・フィオーレは昨年末、iPhoneアプリを立ち上げる申請をして拒否された。アプリの開発者が遵守すべき規則(これも非公開)のうち、著名人を物笑いの種にすることを禁じる3・3・14項に抵触するからだという(今年フィオーレがピュリツアー賞を受賞すると、さすがに申請は認められた)。