ビジネススクール犯人説の嘘
社会に貢献する経営者の育成が課題なのは確かだが、金融危機のたびに噴き出す批判の多くは的外れ
それはエリート金融マンにとって事実上の必需品だ。クリストファー・コックス前米証券取引委員会(SEC)委員長もメリルリンチのスタンリー・オニール元CEO(最高経営責任者)も、ゴールドマン・サックスからブッシュ政権の財務長官に転じたヘンリー・ポールソンも持っていた。
08年秋に始まった金融危機の主役クラスの面々ばかりだが、彼らに共通するのは、いずれも栄えあるハーバード大学経営大学院のMBA(経営学修士号)を取得していること。ならば彼らを育てた象牙の塔こそ諸悪の根源かと考える人がたくさんいるのも当然と言えよう。
その代表格がビジネスウィーク誌のコラムニスト、パブロ・トリアナだ。トリアナによれば、今度の金融危機の元凶は「50年前から変わらないビジネススクール」で時代遅れの訓練を受けてきた「ひと握りの金融機関の少数の男たち」。まるで、悪いのはビジネススクール(経営大学院)だと言わんばかりだ。
こうした批判には一見説得力がある。だがよく考えてみれば、それは相互関係と因果関係をごちゃ混ぜにしている。MBA課程に欠陥があるのは事実だが、それを直ちに今回の金融危機と結び付けることはできない。
確かに多くの「戦犯」はMBA取得者だ。だがMBAを持っていなくても、今回の危機で重要な役回りを果たした人は大勢いる。
反MBA派の主張はこうだ。ビジネススクールの学生は、データと金融モデルを過信しがちだ。また専門分野が細分化し過ぎて、学生はシステム全般のリスクに気付かない。そして倫理は二の次にされる。だから目先のことしか考えない欲得ずくのビジネスエリートが生まれて、金融システムがぶち壊された──。
こうした批判の根底には、より基本的なビジネススクールの欠陥がある。07年の著書でMBAの歴史を論じたハーバード経営大学院のラケシュ・クラーナ教授は、現在のビジネススクールは本来の目的から外れてしまったと指摘する。
統計と分析モデルを過信
MBAが誕生したのは20世紀初頭のこと。当時、アメリカでは巨大企業が社会の新しい勢力として台頭しつつあり、政府はスタンダード石油やUSスチールといった独占的企業が、市場と顧客を食い物にして荒稼ぎするのを防ごうと躍起だった。そうしたなかで生まれたのが、短期の利益を追わず、社会のために尽くす経営のプロを育てる専門課程の構想だ。
ところが第二次大戦後、フォード財団が1億7500万ドルを投じてMBAの近代化に乗り出し、現在のものに近いカリキュラムを作り上げた。ちょうどミルトン・フリードマンとシカゴ学派が徹底的な自由主義と市場主義を唱え、ビジネスの世界を支配しようとしていた頃だ。
シカゴ学派の経済学者たちは、市場は効率的かつ自律的であるから、経営者は株主利益の最大化だけを考えていればいいと主張した。そしてこのイデオロギーは、新しい経営学修士課程のカリキュラムに広く浸透していった。
反MBA派から見れば、これが最近の危機を引き起こした原因だ。だが、その批判は往々にして裏付けを欠く。例えばMBAは統計モデルに頼り過ぎているという批判。確かに、ある程度は当たっている。
だが多くの学者やジャーナリスト、銀行家も、人間は高度な分析手法で金融リスクをほぼ完全に制御できるようになったという考えを黙認し、大いに宣伝してきた。彼らよりもビジネススクールの責任のほうが重いとは、簡単には言えないはずだ。
そもそも、今回の危機の発端となったサブプライムローン(信用度の低い個人向け住宅ローン)を最高の格付けの債券に作り替える「魔術」を編み出したのは、ビジネススクールとは無縁の保険数理士だ。