ビジネススクール犯人説の嘘
専門が細分化され過ぎて、学生が大局的な視点を失っているという批判もある。確かにさまざまな領域で専門化が進んだのは事実だが、今も組織論からマーケティングまで、学生には幅広い授業の選択肢が用意されている。それに、ほとんどの上位校が採用しているケーススタディーは、学生たちに既成概念にとらわれない考え方を促すことが目的だ。
MBA批判で最もよく聞かれるのは恐らく、ビジネススクールは金儲けのノウハウばかり教えて、倫理はほとんど教えていないというものだろう。
だが最近のビジネススクールは、少なくとも道徳心を教える努力はしている。その証拠に88年以降、経営学の修士課程における倫理の講義時間数は5倍になっている。
とはいえ、問題はその質だ。企業倫理の授業は、00年代初めにエンロンやワールドコムなど大手企業の不正会計疑惑が明らかになった後、「仕方なく取り入れられた」と、ジャーナリストのフィリップ・デルブス・ブロートンは言う(ブロートンはハーバード経営大学院で学んだ経験を基に『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場』を執筆)。
ハーバードで教えているクラーナも、倫理の授業はビジネススクールへの批判をかわすために導入されたにすぎず、導入されても「ひっそりと廃止されるか、目立たないところに押しやられた」ケースが多いと証言する。
「経営者にも資格試験を」
それでもなお、MBAが金融危機を引き起こす原因になったという証明にはならない。どんなに最高の教育を受けていても、腐敗した環境で金儲けや出世の機会に巡り合えば、人間はそれに流されてしまう可能性が高い。
逆に環境が健全であれば、MBA保有者も健全な働きをする。例えばカナダ。国内5大銀行の一角であるノバスコシア銀行とカナディアン・インペリアル・バンク・オブ・コマースのCEOは共にMBA保有者だ。
ウォール街に就職した同窓生たちが自己資本1ドルに対して34ドルの借金をしたのに対し、彼らの借入額は自己資本1ドルに対し18ドルにすぎなかった。その結果、アメリカの多くの銀行が今も経営不振に苦しんでいるのに、カナダの多くの銀行の経営は順調だ。
詰まるところ、MBA取得者たちがビジネススクール卒業後に働くのは、大学院で学んだことをそのまま実践できる真空地帯ではない。そこには教室で学んだことよりもずっと大きな影響力を持つ、規制や誘惑が存在する。
とはいえ、ビジネススクールに改善の余地がないわけではない。MBA取得課程は、社会に貢献する経営者を育てるという本来の目的から外れてしまったというクラーナの主張は、基本的には正しい。
この状況を正すためには、経営を真の専門職にする必要があるとクラーナは主張する。弁護士や医師のように資格試験を課して、有資格者を監視する監督機関を設けるというのだ。
だがそんな変化は起きそうにないし、ほとんどのビジネススクールは行動を起こす気配もない。これまでで最も顕著な変化といえば、学生側からの提案を受け、卒業時に一種の誓いの儀式が行われるようになったことだろう。
入学者はむしろ増加傾向
これは医学校の卒業式で誓われる「ヒポクラテスの誓い」のようなもので、未来のビジネスエリートたちは、一番最初に悪事を働かないことを誓う。この誓いを採用している大学院はアメリカで数多い(ハーバードでは今年度の卒業生の54%が誓いをした)。