政治家の失言は「真意と違う」では済まされない
案の定、今回も「アメリカは黒人が大統領になっている」と要約されたことを受けて、全ての発言を追えば「マスゴミ」がいかにして恣意的に端折って伝えたかが分かる、という声がネットを中心に噴出した。丸山議員も、自分としては奴隷制廃止を訴えたリンカーン大統領やマーティン・ルーサー・キング牧師への尊敬の念を持っていたがゆえの言葉だったのに、どうして人種差別発言として伝えられてしまうのかと、「マスゴミ」批判を焚き付ける方法で弁明に終始した。
全文を読んでみる。「"オバマ氏黒人奴隷"発言」といった報道は、下記の発言が要約されていることになる。
「たとえば、いまアメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引く、ね。これは奴隷ですよ、はっきり言って。で、リンカーンが奴隷解放をやったと。でも公民権もない、なにもないと。ルーサー・キングが出てですね、公民権運動のなかで公民権が与えられた。でもですね、まさかアメリカの建国あるいは当初の時代にですね、黒人、奴隷がですね、アメリカの大統領になるようなことは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックな変革をしていく国なんですよね。」(ログミー)
丸山議員が尊敬の念を持って発言したというリンカーンやキング牧師の名前は外され、アメリカへのリスペクトを込めたその後の発言もカットされている。しかし、通して読むことで、「アメリカは黒人が大統領になっている」と言った後で、もう一度「黒人、奴隷がですね、アメリカの大統領になる」と述べていることがわかり、各媒体が引っこ抜いた「大統領=黒人奴隷」発言が、うっかり漏れた発言ではなく(それでも問題だが)、繰り返し言及されていたことも分かる。
記事と全文を比較した上で、丸山議員の発言よりもメディアの恣意的引用を問題視する人たちが一定数いることに驚くが、今件で最も問題視すべきは、丸山議員がこういった発言をすることでいかなる反応が生じるかについて考えもしなかったこと、そして未だに考えようとしていないことではないのか。
森・元首相などは、パーティーの挨拶や講演会などで失言を繰り返してきたが、今回は、そのように調子づいた場面で発した発言ではなく、改憲原案について自民党の各党派から代表者が出席して議論を重ねる「憲法審査会」での発言である。この事実は重い。安倍首相はこのところ、野党から具体的な改憲項目について尋ねられるたびに「国会や国民的議論、理解の深まりの中でおのずと定まってくる」と逃げる答弁を繰り返している。不十分な説明が続くが、だからこそ、こういった審査会での発言は、メディアから隅々までチェックされることになる。丸山議員にそういう自覚があったとは思えない。発言の仔細が問われるのは当然のことだ。加えて、恣意的に中略などせずとも「いまアメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引く、ね。これは奴隷ですよ、はっきり言って」という発言がある。どう考えてもアウトだ。
丸山議員がメディアの恣意的な引用を見当違いだとするならば、なぜ、憲法審査会を辞任したのか。自分が正しいとの自覚があるならば、まずは身内からの批判をはね除けるべきではないのか。上長からの叱咤に「マジですみません」と素直に頷きながら、「社会が悪いんだ」と不満げな顔をする平社員に対して、ある一定の理解が広がっていることが信じがたい。今回のような、「発言の全てを読んでくれれば自分の真意が伝わる、それをしないマスゴミに騙されるな」という手法は、橋下徹氏も頻繁に使ってきた手段だが、「全文を読めば違う」という風潮に対して、「全文読んだけど、問題でしょう」との返答をぶつけなければいけない。そして、「真意じゃない」「あいつらのせい」と名指しされたメディアは、その手の逃避を許しすぎてはいないか。
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