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人気と権力が最高潮に達したプーチンがなぞるロシア皇帝の道
旧ソ連圏のエストニア、ラトビア、リトアニアがNATOに加盟すると、ロシアは包囲されている意識を急激に強めた。今のロシア軍の規模は1989年の約20%にすぎない。
しかし、こうした心理的および防衛面の圧迫感が相まって、国としての偉業に対するロシアの誇りを燃え上がらせる。
敵対する地域と延々と国境を接し、「商機をもたらさない河川、悲惨な天候、貧弱な農地」であり、半分以上の土地が永久凍土に覆われているという「地理的呪縛」にもかかわらず、ソ連は史上3番目に大きな帝国となった。
「ロシアを再び偉大にする」と公言するプーチンは、21世紀最初の復古主義的指導者だ。2014年にバラク・オバマ米大統領(当時)がロシアを「単なる地域大国」と呼んだことは、大国としての矜持に対する多大な侮辱と受け止められている。
プーチンは、自分が指導者でいる間はロシアは大国であり続けると明言している。大国は独自の勢力圏と緩衝国を持ち、世界のあらゆる重要な問題に発言権があり、国際規範に背いても構わないのだ、と。
ナチスと戦うのは最上の名誉
この大国願望は、西側諸国から屈辱的に否定されてきた。ロシア国民が感じているこの怒りを、彼らの指導者は明瞭に代弁してみせる。これがロシアの人々がプーチンに共鳴する第3の柱だ。
プーチンは9・11テロの後、世界の指導者として最初にジョージ・W・ブッシュ米大統領(当時)に電話をかけた。2002年のタリバンとの戦争でもロシアは領空を開放し、自分たちが10年間戦争を行った国の情報を共有して、中央アジアの旧ソ連圏に米軍が大規模に展開することさえ認めた。
しかし、アメリカは2002年に弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から一方的に離脱。続くイラク戦争でプーチンの怒りは沸騰した。2004年にウクライナでオレンジ革命が起こり、親ロシア派候補が「勝利」した大統領選挙がやり直されて親欧米派の政権が誕生した。
2007年にミュンヘン安全保障会議で演説したプーチンは、西側に対する不満を次々に挙げて、NATOの東方拡大に修辞的な境界線を引いた。ナチスと戦うのは最上の名誉ロシアは安全と秩序を求め、隣人の主権と自分たちの大国的地位の両方が認められることを求めた。
準大国の地位は受け入れず、だからこそプーチンの強硬な発言も、ジョージア(グルジア)、シリア、ウクライナへの侵攻も、言葉を真剣な行動で裏付ける指導者として歓迎される。国民の威信と安全のために立ち上がり、西側の屈辱的な試みを一切容認しない指導者を、人々は誇りに思う。
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