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人気と権力が最高潮に達したプーチンがなぞるロシア皇帝の道
ロシアは大国であり続けるという誓いをプーチンは断固とした行動で示す MIKHAIL KLIMENTYEV-SPUTNIK-KREMLIN-REUTERS
<失敗続きのエリツィンでも旧ソ連の指導者でもないプーチンが目指す強いリーダー像の原点とは>
私が大学の特別講義で初めてモスクワを訪れたのは2011年12月10日。6万人のモスクワ市民がボロトナヤ広場に押し寄せる大規模な抗議デモがあった日だった。
一連の講義日程を終えたのはクリスマスイブだった。私を乗せた午前9時発の航空便がロシア領空を離れた直後、ウラジーミル・プーチンにとって政界で最初の上司だった元サンクトペテルブルク市長の娘も加わった10万人のデモ隊がサハロフ通りに殺到。当時、首相のプーチンの支持率は低迷していた。
それから10年以上。ウクライナでの戦争は緒戦で大きくつまずいたが、それでもプーチンの権力と人気は最高潮に達している。なぜか。
この驚異的な持続性について、私は何年もかけて友人や同僚、学生など数百人と話し合った。その結果、プーチン人気の全体像──その土台にある4本の中心的な柱が見えてきた。重要なものから順に見ていこう。
ロシアの不安と傷ついた誇り
第1に、強い指導者というロシアの「伝統」に対する国民の期待。これが安定した権力基盤を持つ独裁者に圧倒的なカリスマ性を与えている。
現在は下院議長を務める、プーチンの最側近の1人はかつてこう言った。「もしプーチンがいなければ、ロシアもない」
一般的に、選挙を通じた平和的権力移行を2度経ることが完全な民主主義の条件とされている。だが、ロシアがこの条件を満たしたことは歴史上一度もない。そのため草の根型の人気政治家を渇望する国民の想像力の中には、比較可能な過去の前例が存在しない。
ソ連崩壊後の1990年代は、極端に不安定で深刻な金融不安に悩まされた時期だった。そんな危機のさなかに登場したプーチンは、ほとんど1人で経済と国民生活の安定を取り戻した人物と見なされている。
民主的に選ばれたロシア初の大統領ボリス・エリツィンは、民主主義の萌芽期の混乱と混沌を体現する人物だった。不節制と規律の欠如から心臓発作を起こし、酒に溺れる姿はこの時代を象徴している。
1999年、エリツィンはロシア国民の大量虐殺、殺人教唆など5件の罪状で弾劾訴追を受けた。エリツィンは8年間で7人の首相をすげ替えたが、プーチンは20年以上でわずか4人だ。
エリツィンが大統領に就任した1992年に小売価格は2500%上昇。翌年も840%値上がりし、1995年まで3桁のインフレが続いた。その結果、国民の貯金は紙くずと化した。
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