コラム

東エルサレム「立ち退き」問題で激化する衝突

2021年05月12日(水)22時15分

だが、実際バイデン政権がトランプ時代に築いた対イスラエル関係を反故にするかといえば、そのようなことはなかった。ブリンケン国務長官の親イスラエル姿勢はよく知られているが、今のところバイデン政権の中東和平に対する優先順位は低い。パレスチナ支援も、USAIDによる支援を復活させたりパレスチナ代表部との外交関係を再開させたりといった進展はあるものの、多くは期待できないのが現状だ。

今回の衝突についても、米国務省は「(イスラエル、パレスチナ)双方が暴力の沈静化に指導力を発揮すべし」と、喧嘩両成敗的な、当たり障りのない発言をするにとどまっている。イギリスの駐エルサレム領事が「東エルサレムは占領された土地であり、イスラエルの東エルサレム併合は非合法だ」というイギリス政府の立場を明確にしているのと、対照的だ。

イスラエルはこの問題を「ただの不動産問題」と矮小化しているが、東エルサレムという、イスラーム教徒にとっても重要な聖地で、しかもラマダン月のさまざまな宗教儀礼を冒涜するような形で行われたイスラエル警察・治安機関の暴力は、現地のパレスチナ人社会だけでなく、中東・イスラーム諸国で幅広い批判を呼んでいる。

「パレスチナへの連帯」など机上の空論に成りはて、イスラエルとはウィンウィンの経済関係だけ追求すればよい、という風潮に流れてきた昨今のアラブ諸国だが、今回の事件、特にアルアクサー・モスクでの礼拝者に対するイスラエル警察の襲撃には、強い非難を表す国も少なくない。市民による反イスラエル・デモがイスラエル大使館前で連日展開されているヨルダンは、駐アンマン・イスラエル代理大使に抗議の意を伝えた。政府が昨年イスラエルと単独和平を結んだUAEも、イスラエルに暴力行使の停止を求めている。

占領地住民のフラストレーション

だが、こうした衝突を収め、イスラエル側に入植の停止を求めていくことのできる指導者が、肝心かなめのパレスチナ側にいるのかといえば、はなはだ心もとない。今回の事件発生の直前(4月30日)には、アッバース・パレスチナ自治政府大統領が、5月22日に実施を予定していた自治区立法評議会選挙を延期すると発表した、という状況がある。パレスチナ自治区での選挙は、大統領選挙は2005年以来、評議会選挙は2006年以来棚上げにされており、アッバース政権は民意を問わないまま長期政権を続けている。大統領としての正当性が問題視されるなか、ようやく選挙にこぎつけたと思ったら、再度延期。パレスチナ人の間での対政府不信も一層強まっただろう。

占領地の住民の間には、長らく、代弁者不在のなかでじわじわと悪化していく現実に、フラストレーションがたまり続けてきた。数年前にはその鬱屈が、ナイフ・インティファーダという形で暴発したこともあった。今回の衝突が鬱屈を沸点に突き上げるのか、それとも行き場のない熱湯が煮え続けるのか。

2002年に制作されカンヌ国際映画祭審査員賞をとったパレスチナ映画「D.I.」は、最後沸騰しピーピー音を立てる圧力鍋を映して終わる。鍋は今も放置されたままだ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

来年2月の豪利上げを予想、CBAとNAB

ビジネス

経済同友会の代表幹事に山口・日本IBM社長、新浪氏

ワールド

フィリピン国防相、漁師に対する中国の行為は「危険」

ビジネス

トランプ米政権、鉱業部門とさらなる「歴史的取引」計
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連疾患に挑む新アプローチ
  • 4
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 5
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 6
    アダルトコンテンツ制作の疑い...英女性がインドネシ…
  • 7
    「なぜ便器に?」62歳の女性が真夜中のトイレで見つ…
  • 8
    「職場での閲覧には注意」一糸まとわぬ姿で鼠蹊部(…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 1
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 2
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 3
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 4
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 5
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 6
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 7
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 8
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 9
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 10
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story